【現代インド・南アジア次世代研究者合宿 受講生の感想】(五十音順)

現代インド・南アジア次世代研究者合宿

氏名:阿部麻美(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

本合宿では、南アジアの「変貌」「変化」が大きなテーマとして掲げられ、様々な研究領域から活発な議論が繰り広げられた。「変化」をいかに捉え、いかに語るかをめぐり、個別具体的な事例を諸領域間で考察する過程で、「今ある世界を時間軸でとらえる」ことの難しさを感じることのできた3日間であった。しかしそれと同時に、常に学術的な議論の場に身を置くことができたことは自身にとって非常に有意義であり、率直に嬉しいものでもあった。

現代インド・南アジア次世代研究者合宿を通じて、なかでも深く考えさせられた2点を以下に述べたい。

総合討論で「現代インド・南アジア」とする際の「・(中黒)」の意味が問われた。自身の研究地域はインドであるが、これまで南アジアをインドと無意識のうちに読み替えていたことに気づかされた。9名の報告者のうち5名がネパール、バングラデシュ、パキスタンを対象としており、個々の詳細な歴史や背景は異なるものの、これらの報告から多くを学んだ。現代インドのある特定の地域を対象としている場合であっても、インド内外を問わず地域を超えた事象や傾向、またその反対に、ある特定の地域のみに見いだされる事柄を知ることは、包括的な南アジア地域研究において学ぶ意義の一つであるように思われる。

広い視野の有用性が確認されたと同時に、依って立つ堅固な学問的基盤の必要性も強く感じさせられた。連日繰り広げられる熱い議論において、発言の一つ一つの高い専門性が架橋されていく過程に憧れを抱きつつ、自身の学問的な足場の脆弱性に不安を覚えた。ある地域のある事象を考察したいという想いが現在の研究の契機であった自身にとって、いかなる領域から捉えるべきなのか、捉えることができるのかは一つの悩みでもあった。「思い切って(一つの学問領域に)飛び込んでみる」。しっかりとした学問的基盤をまだ築けていない自身にとって大きく後ろからのスタートではあるが、足場の構築から真摯に向き合っていきたい。

この3日間の合宿への参加が許されたことに、心からの謝意を表したい。報告や討論に限らず、休憩や食事、懇親会などの議論から離れた場においても様々なお話をお聞きすることができた。現在の研究に至る道筋をお伺いする中で、研究を志した背景を教えて頂くこともあった。学問の道を進む背中を見せて頂いたばかりでなく、自身の研究を気に掛けてくださったり、文献を紹介していただいたりもした。御一方、御一方にきちんとしたお礼を述べることができなかった点が悔やまれる。この場を借りて、深謝致したい。

氏名:石坂晋哉(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科/人間文化研究機構)

2012年度現代インド・南アジア次世代研究者合宿に主催者側のひとりとして参加したが、一番印象に残ったことは、企画段階から最終日の総合討論まで一貫して、現代インド・南アジアを語るうえで、異なるディシプリン間の対話をもっと進めなければならないということが、疑問の余地なき大前提になっていたということである。これは、本合宿の実行委員会メンバーが、政治学、人類学、経済学、地理学、社会学というそれぞれ異なるディシプリンのもとで研究を進めていて、しかしそれにも関わらず共通のテーマを掲げて共に企画運営をしなければならないシステムになっていたからというだけではなく、また、南アジア地域研究に従事する研究者人口が少ないから他分野の研究者ともできるだけ協力したほうが得策だというだけでもなく、なによりも、それぞれが、現代インド・南アジアの今日の変化の全体像に少しでも迫りたいという熱意を持っていたからではないかと私は思う。各発表やコメントに対して、発表者・発言者自身の思考の論理に沿った形でinternal な批判や助言を寄せることも非常に重要であるが、相手の思考を尊重しつつ別の視点・立場・発想から率直に意見を述べ合うことによって互いのパースペクティブを広げることも、研究をクリエイティブに進めていくうえでとても有益だと思うし、楽しい。今回の合宿ではそのことを実感した。

さまざまな発表とコメントを聞くなかで、現代インド・南アジアの「変化」を捉える捉え方自体が、ディシプリンによってさまざまであるようだと感じた。文化人類学では、伝統的な構造(秩序)が崩壊した時点を重要な画期とみなす傾向があるように思えたが、歴史学では、現在の起源をさかのぼるという姿勢にもとづきつつ時代区分をしているようであった。また、経済学では、現実社会の諸問題と関わりの深い主要な指標をピックアップしてその変動を客観的にみようとしているようであり、政治学では、人間の政治行動に関する仮説を立ててそれを検証しモデル化することを重視しているようであった。他方、20世紀初めに先進国における変化(=近代化)現象を理解し説明しようとすることから始まった社会学では、「変化」に関してさまざまな精緻な理論化がなされてきているが、それらを踏まえて社会学の立場から現代インド・南アジアの変化をいかに理解し説明すべきかについて、本合宿中に、私自身は十分に発信することができなかった。それが反省点である。

来年度以降の合宿に向けての課題として、PDレベル以上の研究者の参加をもっと促進させるための工夫が必要だと感じた。「現代インド地域研究」各拠点の研究員のほぼ全員が、当日の運営を担当するだけでなく発表者もしくはコメンテーターとして重い役割を担っていたため、疲れ果ててしまった。企画運営を担当する研究員は、基本的に趣旨説明を担当し、趣旨説明をより充実させるという形にするのがよいのではないかと感じた。

氏名:岩間春芽

今回合宿に参加しようと思ったのは、学会発表をするものとは別の部分(博士論文の一部)を発表する機会がほしいと思ったためである。昨年、元指導教官(博士論文の主査)が病死し、博士論文を書いてもそれを見てコメントする人がおらず、困っていた。書くことは一人でもできるが、一人で書いていると他人がみてわかるように説明できていなかったり、論旨に問題があってもそれに気がつけないことがある。そのため、全く単独で論文を書き進める事はできず、こういった機会を探していた。実際、参加してみて期待通り、自分では気が付かない問題点を指摘していただき、伝わりにくい形になっていたという事も自覚できたため、論文を改善する上でプラスになった。こういった機会を設けてくださった人たちに感謝したい。

他の発表者の発表については自分の研究に直接関係するものについては勉強になった。議論する上ではなにかしらの知識が共有されている必要があるが、その共有が十分ではなく、やや議論が散漫に見えるときがあった。他の専門分野の方のものについてはそういう見方もあるのか、という発見と自分の専門とのちがいを知ることで逆に自分の専門がどういう分野なのかということを再認識する機会となった。経済学はこういうものだ、という主張が強くなされており、そこから学べる部分もあったが、経済学だけが正しいとは思えず、人類学、歴史学、政治学などそれぞれに、それぞれの考え方に基づいて研究しているため、それぞれに評価できる面もある。経済学以外の研究者の主張が弱いように見えたので、もう少し主張してもよかったかもしれない。一見すると未発達に見えたり、無知に見えたりする分野でもそうである理由が隠されており、同分野の間では常識として共有されている事もあり、他分野の研究者が指摘する事で逆にその研究者の無知が露呈されてしまうことがある。学際的な形でディスカッションを進めるうえでは、他分野に対する無知さを自覚しつつ、それを認め、他から学ぶという姿勢が必要であるし、同時に自らの専門の中で当然とされている事を分かり易く端的に説明できるようになる必要があるということを今回の合宿を通して再確認した。

また、すでに他の方が指摘したとおり、学際的な議論や研究は自分の専門がきちんと固まった事が前提で初めて成り立つものであり、それがないままでは議論自体が成立しない。そのことを自覚が無いままに何年やっても砂上の楼閣となるが、学際的な研究科ではそれを自覚できないままに博士課程(博士後期課程)に進んでしまう可能性もあり、とてもリスキーであり、周囲が必要に応じて指摘する事も必要なのかもしれない。

全体の進め方については、パネルの設定に無理があるように思えたし、発表の後質疑があり、さらにコメントがあるというのもよくわからなかった。専門が違い何の接点も無い人がコメント役と決められていることもあり、コメントする側もされる側も困惑した。また、総合討論ではかなり漠然とした議論がなされていて、漠然としすぎてなんともコメントできないものがほとんどであり、存在意義自体が理解できなかった。理解できないこちらに問題があるのかもしれないが。

氏名:上澤伸子(東京外国語大学大学院)

今回の合宿における統一テーマの副題が、「<変化>を語る諸領域間の接続可能性に向けて」であったため、どの議論においても、領域あるいは区分の問題がくり返し立ち現れてきた。たとえば、地域区分(インドとそれ以外の地域を南アジアと一括りにしてよいのか)、時代区分(グローバル化の起点は90年代以前か以降か)、分野区分(人類学、経済学、政治学などのディシプリンによって、変化のとらえ方に差異があるのではないか)などが討議されつづけた。

「インドとそれ以外の地域を比べることによって、南アジア固有の発展が見えてくるのか、こないのか」という議論において、わたしは、バングラデシュの母系的なマイノリティ集団を研究する者として、南アジア研究に対してどのような発信ができるのかと自問した。先行研究とくに人類学的研究において、母系マイノリティの社会やそこに暮らす人びとは、父系的なそれとの比較のために俎上に載せられてきた。かれらが比較の対象として、あるいは他者からの表象として描かれるプロセスは、かれらに対する固定化・実体化された「言説」が生み出されるプロセスでもあった。

上記に対する批判を踏まえた上で、今後は、地理的・民族的・宗教的に南アジアの「周縁」にある人びとが、いかなる変化に直面し、それにどう対応し、自らをどう調整しているかを濃く描くことによって、南アジア研究になんらかの知見を提供できるのではないかと考える。
最後に、今回の合宿を準備してくださった方々に厚く感謝を申し上げます。

氏名:上田知亮(龍谷大学現代インド研究センター/人間文化研究機構)

今回で第三回を数える次世代研究者合宿であるが、今回とりわけ印象深かったのは以下の三点である。第一に、1990年代以降の変化を解析するための視角を、そもそもそこが転換点であったのかという疑問にも考慮を払いながら探ることに焦点を絞り、本邦ならびに世界における研究蓄積を批判的に検討して現代インド/南アジアのめまぐるしい変貌を読み解くための新たな言葉を見出そうとする挑戦的な姿勢が従来にも増して鮮明になった。「現代」インド地域研究プロジェクトであればこそ、こうした問題意識を尖鋭化しようという意識が喚起されたように思われる。ただし、その副作用として歴史研究への間口を狭めてしまった憾みは残った。

第二に、インドだけでなくパキスタンやネパールなど南アジア諸国の研究者が綿密な現地調査に基づく報告を行い、地域研究の実証水準が非常に高くなっていることを伺わせた。他方で、詳細なミクロの実証研究をグローバル化、自由化、分権化・ローカル化というパネルのテーマとなっているマクロな次元と結びつけて全体の傾向や歴史の大きな流れを描き出すことが非常に困難であることも浮き彫りになったように思われた。

第三に、南アジアの多様な側面についての多角的な意見交換が一層活発に行われ、現代インド地域研究と銘打ちつつも「インド」概念を広くとるという本事業の方針が正鵠を射るものであることが確認された。だがそれと同時に、これは第二の点と深く関連することであり、なおかつあらゆる地域研究についても言えることであるが、「インド地域研究」や「南アジア地域研究」を進めていくことの難しさが改めて痛感された。

以上三点はとりもなおさずインド/南アジア地域を対象とする若手地域研究者が本邦においてこれまでにも増して顕著な研究成果を着実に生み出しつつあることを示しているのではあるが、その一方でややもすれば地域研究者は調査対象の特殊性の解明に沈潜するあまり、各自の専門領域において鋭利な分析のために彫琢されてきた汎用性の高い分析手法を軽視しがちであることに警鐘を鳴らしているようにも感じられた。合宿のときにも述べたことではあるが、研究地域に関する該博な知識を前提として、地域の枠を超えて自らの専攻するディシプリンに理論的貢献をなし得る研究者こそが、翻って地域研究の深化に裨益できるのであるから、偉大な先人の残してくれた研究蓄積を謙虚になおかつ批判的に学ぶことが肝要であるとの思いを強くしたことを、自戒を込めて記しておきたい。

最後に、本合宿の企画において主導的役割を果たすと同時に、学術的議論を数日間繰り広げる研究者合宿を開催するに相応しい会場を厳しい予算制約のなかで見事に探し出し、さらに実行のための煩雑な事務仕事を買って出てくれた小西研究員と石坂研究員に心から感謝する。こうした「公共財」の供給という労多くして感謝されることの少ない役目を彼らが果たしてくれなければ、合宿の成功は覚束なかったであろう。

氏名:宇根義己(広島大学現代インド研究センター/人間文化研究機構)

今回の合宿のパネルテーマである「グローバル化」「自由化」「ローカル化と分権化」という視点はいずれも地理学的要素を多分に含んでおり(自らがパネル設定側であったことはさておき),全体を通じて刺激的かつ有意義な合宿であった。以下は,討論で私が発言しきれなかった点についてこの場を借りて書き記す。

まずパネル1(「グローバル化」)では活発な議論は行われたものの,「グローバル化」から見える世界と見えない世界は何かという問いに対する答えが見えきらなかったことが残念であった。その要因の一つとして,「グローバル化」があまりに容易に使用されて手垢にまみれすぎており,研究者によって捉え方もまちまちであることが考えられる。また,現象としては地球規模ではなくわずか数カ国内でみられるようなものも「グローバル化」として認識(誤認)する場合も多い。この用語を使用する難しさを改めて認識した。個人的には,この用語を使用・議論する際は,対象を限定し狭義な意味を設定する必要があると考える。パネル2(「自由化」)は,杉本氏の報告に歴史研究者の苦悩を垣間見た。私などは,数年前はすでに過去なのだから,それは歴史化する対象に値する,と平易に考えてしまう。パネル3(「ローカル化と分権化」)については,報告者兼パネル担当者として幾つもの課題が目に付いた。一つは,「ローカル化」の視点についてほとんど報告も議論もなされなかったことである。これは私の責任でもある。また,地方の変化を中央(中心)との関係から捉える側面が弱かったように感じる。この点はパネル3の反省点でもあり,私の報告の今後の課題でもある。

3つのパネルテーマはそれぞれ主旨を持ち,「変化」を語る切り口として設定したわけだが,パネルのテーマに合致した内容の報告は残念ながら多くなかった。それは,主催者である研究員の思惑と応募者の研究テーマとの間にズレがあることが最大の理由であろう。ここに今回のような応募によるテーマ型の研究会の難しさがある。とはいえ,今回の合宿では「変化」を語る様々な事象とそれへの視点やアプローチについては多くの報告から貴重な内容が示された。その点で本合宿の目標を確実に達成したといえるのではないだろうか。また,インドのみならずパキスタンやバングラデシュ研究者も積極的に参加・報告いただいたことは,現代インド・南アジア研究の幅と厚みを感じさせ,今後の南アジア研究がとても楽しみに感じた。最後に,我々研究員としては今回の合宿の議論や構成などを踏まえ,次回の合宿および国内全体集会(研究員主体)に活かそうとしている。この点から考えると総じて実りの多い合宿であった。末筆ながら,研究員のなかでも今回の合宿のとりまとめ役として終始骨を折ってくださった小西公大氏(合宿幹事)と石坂晋哉氏に感謝申し上げます。

氏名:大石海(東京外国語大学大学院)

3月1日から3日にかけて箱根高原ホテルにおいて行われたINDAS次世代研究者合宿への参加は、私にとって大変貴重なものとなりました。参加のきっかけは、ある拠点研究員の方の「箱根の温泉を味わえる」という一言でしたが、それ以外にも多くの知見を得ることができたと感じています。

「変貌の南アジアを解く―<変化>を語る諸領域間の持続可能性に向けて」という統一テーマのもと、南アジアの各地域・各ディシプリンの方々の発表を拝聴しながら、それらの一つひとつを自らの研究関心に引きつけて考えてみることで、今まで見えてこなかった・見ようとしていなかった側面に出会ったような気がします。それぞれのフィールドの事例を、どのように大きな枠組みのなかに文脈化し、そして変貌していく「南アジア」をとらえていくのか。このような問いに、私自身正直今のところ適当な答えは見つかっておりませんが、今回、こうした問題意識を持つことの必要性を認識しました。

合宿のなかで議論になった、「『南アジア』と言いつつも、実はあまりに『インド』中心すぎはしないか」という点に関しては、私も以前から何となく感じていました。私が関心を持っているパキスタンは、確かに1947年以前はインドと同じ地域でした。しかし、その後の歩みはかなり異なります。同時に私は、私自身のなかにある上述のような問いに対して、どこか当然のことであるという感覚も持ち合わせていました。いずれにせよ、インドという国を意識し、向きあっていかなければならないのだと。そして、こうしたパキスタンとインドの関係性ということを思考していたとき、私は、恥ずかしながら都合よく他の国々を忘却に付していました、バングラデシュさえ。私の捉えていた「南アジア」も、実はかなり狭いものでした。

今回の合宿は、今まで私が持っていた「南アジア」という地域の意味を改めて考えるきっかけとなりました。そして、南アジアが有する「多様性」を捉える上での自分自身の問題設定を再考する契機にもなりました。

最後に、合宿当日はもちろん、それ以前の準備等を含めてこの合宿を運営してくださった実行委員の方々に厚くお礼申し上げます。このような機会に参加することができ、大変感謝しております。本当にどうもありがとうございました。

氏名:久保徳幸(大阪大学大学院)

本合宿の3日間を通して、得られた知識や情報は今後の現代インド・南アジア世界を考えるうえで非常に重要な要素であると思いました。グローバル化、自由化、分権化というキーワードを基に現代インドをどう理解するかという試みは今後も継続して行われなければならないとは思いますが、三尾先生が総合コメントの時におっしゃった地域の捉え方は大変共感する所がありました。ヒト・モノ・カネが最も多く流動し、現在も急速に発展を続けるインドは確かに、地域の大国であることは認めざるを得ません。しかし、本合宿の発表者9名のうち5名がネパール、パキスタン、バングラデシュといった周辺地域を取り扱ったものであったことは注目に値すると思います。その意味で、ネパールのプロテスタンティズムを扱った丹羽氏の報告やパキスタンの教育政策・制度を扱った水澤氏の報告は大変興味深いものとして拝聴させていただきました。

また総合討論において、地域研究の良さは「考えてもみなかった論点が現れる」点で非常に有意義であるという中溝氏の発言はあからさまに否定は出来ないとは思いますが、その前に自らの専門分野を極めてからこそ、こうした地域研究に取り組む必要があると痛感した次第です。まずは自らの専門分野の地盤を強固にする為に出来る事に全力を注ぎたいと思います。加えて、和田氏が発言されたタイトルの表記で、その内容や何が言いたいのかがわかるとおっしゃっていた事は、以前別の人からも指摘を受けていた点で今後に活かさなければならないと感じました。

最後に本合宿を通じてお世話になったINDUS関係の皆様をはじめ、田辺先生、三尾先生、すべての方々に感謝の意を表したいと思います。この経験を糧とし今後も研究活動に励んで参りたいと思う所存です。3日間本当にお世話になり、本当にありがとうございました。

氏名:小西公大(東京外国語大学/人間文化研究機構)

企画段階から難航した合宿だった。理由として、一つには「南アジア」という空間的枠組の中で、地域差を超えて対話ができるようなテーマ設定をするべきこと、また、研究分野の枠をある程度保持しつつも領域間の接合が可能となる共通テーマを設定するという二つの難しい要請が当初の段階で存在したこと、もう一つは、こちらで設定した全体テーマと実際の個別発表の内容をすり合わせることが難しかったことにある。最終的には、南アジアを語る上でどうしても避けて通ることのできない「変化」「変貌」をテーマとし、これまでの変化の語りの中心にあり続けてきた「グローバル化」「自由化」「地方化・分権化」などの枠組を一つ一つ丁寧に解体し、フラットな視点で「南アジア的」な変容のあり方を捉える、という趣旨に落ち着いたが、それが成功したかどうかは心もとない。合宿における実際の議論は、この「南アジア」という空間的な枠組みが問いかける問題と、変化という時間的な枠組みをどのように設定するのかという問題に集約されつつあったが、個々の報告から現れてくる問題設定(時/空間ともに)はあまりに多様であり、メタレベルにおける対話ができたかどうかは、各参加者に判断がゆだねられる。今回の合宿の目的がよりよくわかる、全体を包括した主旨文があったほうがよかった、というのが反省点である。

とはいうものの、三日間の合宿から得られたことも多く、また課題も明確となった。特に、二日目の夜の田辺講演以降の議論で、INDASの持つ共約的な方向性を批判的かつ建設的に検討できたこと、またインド以外の地域の研究者の多くと濃密な対話ができたこと、また来年度の国内全体集会に向けたブレインストーミングが可能になったことが、最大の収穫であった。全体としてメタレベルの議論に結び付けていこうという意向が強かったため、各参加者には必要以上に無理難題を押し付けてしまった感はあるが、最後まで真摯に向き合っていただいたことに心から感謝したい。

氏名:杉本浄(東海大学)

「変貌の南アジアを解く」と題した今回の合宿では、異なる学問領域に身を寄せる研究者が、各々の研究内容を単に発表するだけでなく、「グローバル化」、「民主化」、「自由化」、「ローカル化・分権化」といったそれぞれのパネルのテーマに沿って、自身の研究を見直していく機会を与えてくれるものだった。

さらに、ディスカッションにおいては、今日の南アジアの<変化>を説明する上で、上述したパネルのキーワード以外にふさわしい学際的言語があるのかを探るという意欲的な試みもなされ、刺激を受けた3日間になった。

発表の半分以上が現地調査に基づくミクロなデータを集積した緻密な研究であり、異なる分野と地域の研究から、その方法や視点、さらに問題意識に及ぶまで多くを学んだ。その一方で、当然のことながら<変化>を語る共通言語探しは困難を極めざるを得なかった。当初、議論の間に何度も主催者にその意図を質問するケースが見られ、某かの終着点に至ることができるのか、正直なところ途中ハラハラする場面もあった。

最後の総合討論に至って、南アジアの<変化>を包括的に説明するやり方に議論が集中しはじめ、南アジアで括ることの意義や代表と一般化の問題、さらにシステム論として説明することの是非が問われたところは興味深かった。包括的視点を持つことの難しさを再認識し、今後とも継続して問うていきたい大きな宿題になった。

氏名:溜和敏(中央大学大学院)

今回で3回目の開催となる現代インド・南アジア次世代研究者合宿に、自分は初めて参加した。その率直なところの感想を端的に言い表すとすれば、刺激的であった、という一言に尽きる。では何をどのように刺激的であったと思うのかについて、自分の感じたところを分析的に振り返ってみたい。

第一には、当然のことだが、この合宿で展開された報告や議論の中身が自分の研究にとって様々な示唆を与えるという意味において、刺激的であった。長い報告と討議の時間が割り当てられたことにより、自分の研究報告に対して様々な意見を聞くことができた。直接的な批判が参考になることはもちろん、異なるディシプリンから異なる見方がされうることについても興味深い発見を多く得られた。また、自分以外の報告や討議からも、自分の研究のヒントとなるような知識や気づきが多く得られた。

第二に、議論の有り様が直截的であったという意味で、刺激的であった。この点はまったく予想外であった。異なるディシプリンを背景とする研究者同士の集いにおいて、かくも熱い議論が展開されることを予想していなかった。報告の内容や意義に真っ向から挑戦するような議論も少なからず行われており、そうした姿勢のためにより実質的な討論が可能となっていたように思われる。

第三に、他の参加者の研究への姿勢に刺激を受けた。この点は、通常の研究会や学会とは異なる、合宿ならではの発見であったように思う。他の参加者と長時間をともにすることにより、それぞれの人となりや、研究についての考え、取り組みを垣間見ることができた。そうした中で驚いたことは、(もちろん参加者全員について知り得たわけではないが)研究に対する熱意であった。一部の参加者の研究に対する熱い姿勢には、自分としては若干「引く」(怪訝に思う)ところすらあった。そうした違和感を消化しながら、研究という営為の意味についても考えさせられた。

最後に、合宿で様々な刺激を提供してくれた参加者各位、とりわけ実行委員会(INDAS拠点研究者)各位への感謝を示したい。

氏名:中溝和弥(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科/人間文化研究機構)

今回で、「現代インド地域研究」次世代研究者合宿も三回目を迎えた。初年度から合宿の企画・運営に関わっているが、年を追う毎に充実した議論が行われ、実行委員会のメンバーとして大変にやりがいを感じている。その上で、課題を三点述べたい。

第一に、ディシプリン間の対話の難しさである。今回は、グローバル化、自由化、ローカル化・分権化という三つの側面から変化を探ることを試みたが、それぞれの分析概念にディシプリンによる違いがあり、議論が必ずしもかみ合わないところもあったように思う。もっとも、企画段階では、様々なディシプリンから応募が可能なように意図的に概念を広く設定した事情もあるが、企画者としてはもう一つ工夫を凝らしても良かったと自省している。

第二に、発表についてであるが、真摯な調査に基づく発表が行われたことは企画者として大変頼もしく感じた。その一方で、議論をきちんと立てること、応募パネルの趣旨を自分なりに意識して議論に結びつけることには課題が残っている。これらはディシプリンの違いを超えた基本的な作業になるので、今後の努力が必要になるであろう。

最後に、比較分析の必要性についてである。総合討論で三尾先生から指摘があったように、南アジアの変化を捉えるために、比較分析は重要である。南アジアという地理的概念が成立した歴史的経緯について十分意を払いつつ、域内で比較を行うことを今後の自らの課題としたい。

以上が感想である。発表者、コメンテーターを務めてくださった参加者の皆さん、合宿を盛り上げてくれて本当にありがとうございました。

氏名:丹羽充(一橋大学大学院)

今回の合宿の主題は「変貌の南アジアを解く―〈変化〉を語る諸領域間の接続可能性に向けて」というものであった。つまり個別のディシプリンが磨き上げてきた成果を接続することによって、南アジアを総合的に理解する可能性を提示しようという試みである。しかし、「南アジアを総合的に理解する」ということは、具体的にどういうことだろうか。この「南アジア」という概念によって実に多様な当該地域を一般化することの問題は、既に合宿の最終日に三尾氏によって提起されたため立ち入らない。むしろ、ここで提起してみたいのは、個々のディシプリンを接続していくということ、つまり「学際」的であるということがどういうことかという問題である。

一般に「学際」という言葉が含意しているのは、個別のディシプリンの成果を加算していくという発想ではないだろうか。ある研究対象がある。それは多様な視点からさまざまに理解され得る。であれば、それを足していけば研究対象に対する総合的な理解に到達することができるだろう、と。もちろん、本合宿が、こうした単純かつ素朴な「学際」観に基づいていたわけではない。このことは、「諸ディシプリン間を接続する新たな言葉の探求」が強調されていたこと、そのための総合討論の時間が設けられていたことにも伺えよう。だが、そもそも個別のディシプリンが持つ多様な視点が、根本的に同時存在不可能であるとすればどうだろうか。つまり、ある一つのディシプリンの視点が、他のディシプリンの視点を根底から揺るがしてしまう場合も少なからずあるのではないだろうか。したがって、今後、ディシプリンを接続するということがどういうことなのかということを巡ってメタレベルの議論が進められなければならないと考える。

今回の合宿は、筆者にとって初めての「学際」的議論であった。それから学んだことの中でも特にここに付記しておきたいのは、「学際」的議論というものが個別のディシプリンを発展させるために(も)極めて有用だという点である。筆者が専門とする文化人類学の視点の特徴は、まず、兎にも角にも「現地の人々の視点」に着目することである。だが、他のディシプリンとの交流によってこそ文化人類学の特徴をはじめて浮かび上がらせることができるし、それによってこそ文化人類学が果たすべき役割、あるいは文化人類学にしか果たせない役割を明確に示すことができるようになるだろう。さらに他のディシプリンとの交流からは、普段、想定され得ない批判やコメントが得られる点も重要である。こうした貴重な批判やコメントを真摯に受け入れ自らの思考に組み入れていくことが、自らのディシプリンをより洗練させていくことに間違いないからである。

この意味において、合宿の最終日に上田氏が力強く主張した「まずは個々のディシプリンを磨くべきである」という意見には強く賛成したい。まずは自らのディシプリンを磨くことで他のディシプリンに対して思いがけない批判やコメントを提供できるようになる必要がある。だからこそディシプリン間の互恵関係を築くことができるのだ。

合宿を通して、自らのディシプリンを磨くとともに「学際」的議論に参入していくことの重要性について実践から学ぶことができた。今後も、こうした議論には積極的に関わっていくつもりである。

氏名:久松祥子(広島大学大学院)

今回の合宿に参加して得た経験の内、様々な学問分野・フィールドを専門とした研究者間の交流の意義と、合宿全体のテーマとなっていた「変容」と自身の研究の関係についての考えを述べたいと思います。

今回は経済学、政治学、歴史学、地理学、国際協力学、人類学といった様々な学問分野を専門とした方々が揃い、非常に多角的な議論がなされました。自身とは異なる学問分野の方の意見は新鮮であり、また違和感を覚えるときもありました。しかし新鮮さや違和感は何から起因するのか、ということに考えを巡らせることこそが重要だと気づきました。価値観が異なるから、と他学問分野に対立心を抱くのでなく、新しい、また多角的な視野を獲得するためにそういった作業を今後怠らないようにしたいです。私はこの一年間、文化人類学を勉強してきましたが、文化人類学はひとつの現象を様々な要素を取り入れて多角的に見る、といった姿勢を要するため、今後積極的に他分野の専門知識を持った方との交流を持ちたいと思います。

参加者のフィールドにおいては、インド、パキスタン、ネパール、ブータン、バングラデシュと非常に多岐に渡りました。ただ、南アジアと言えどインドが中心になって議論されがち、という指摘がありました。それに対し、バングラデシュを研究している私は「インドは・・・だがバングラデシュは・・・」といった論調になってしまうことがあります。インド中心というだけでなく、また国家間を対立項として比較するだけでもなく、多国間との関係性や他国からの捉えられ方、また南アジアの中でのその国の位置づけなどを考えていくことこそが重要であると感じました。特にバングラデシュは、インドやパキスタンとの関係性の中で位置づけていく見方が必要であることに改めて気づきました。

ここで本合宿のテーマとなっていた「変容」を自身の研究テーマに照らし合わせて考えてみたいと思います。私は「バングラデシュでの障害者に対する認識」を研究テーマに、「今」のバングラデシュの障害者の現状を切り取って論じる、ということに関心を抱いていました。しかし、本合宿を通して、「今」を見るためにはそれに至るまでの変容してきた過去を理解することが不可欠であり、加えて「今」を相対的に見ることがいかに困難か、ということを考える機会を得ました。また、「変容」とは、伝統的観念が消滅するのでなく、形を変えて維持されており、それには外的要因だけでなく、内的要因においても考えを及ばせる必要性があることを学びました。

以上3点はいずれも自身の専門分野においての研究を磨くことで可能になることであるので、今後も日々の研究に励みたいと思います。最後に、本合宿開催に向けて尽力してくださった皆様に感謝致します。今後もこのような機会に是非とも参加させていただきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

氏名:福内千絵(京都大学)

本プログラムの統一テーマ「変貌の南アジアを解く―〈変化〉を語る諸領域間の接合可能性に向けて」に即して、報告者の方々からは各領域における「変化」をとらえるための問題設定やアプローチの方法論を学ばせていただいた。また各報告内容の理解にとどまらず、様々なディシプリンの参加者の報告・コメント・討論を通して、「南アジア」の「変化」をとらえる際に浮かび上がる諸問題、ひいては自身の研究手法やその意義について、改めて考えさせていただく機会となった。

最終的に集約された次の三点は、今後の研究を進めるうえで、常に頭においておくべき論点であると思う。ひとつは、南アジア各地域を包摂しながら南アジア研究がおこなわれるなか、「インド」と「南アジア」の差、つまりインドと他地域との差について立ち止まって考えてみるべきという点である。具体的には、インドをもって南アジアが一般化されがちであるが、今一度インドとパキスタンやバングラデシュ等他地域との変化の有り様を比較することで、そこに南アジア的な発展経路が見いだせるか、あるいは見いだせないのかを検証すべきではないかというものである。

その二つは、変化の画期・転機のポイントは、問題設定によって異なるのではないかという点である。各領域や地域・時間軸の設定等によって、多様な形での問題設定が可能であり、それによって、どの時点を変化のターニング・ポイントととらえるのかは当然違ってくるというものである。それに関連してインド洋でつながる世界と中央アジアでつながる世界という地域設定の可能性は示唆的である。

その三つは、言説空間の時代性への認識という点である。私たちが「変化」をとらえようと問いかけ、そして語る「現代」は、例えばインドであればオプティミスティックな時代性が支配的である。研究者は、そうした言説空間の時代性やパラダイムに注意を払う必要がある。

翻って自身の研究においては、「ディスクリプティブな分析でなにができるか」という問いを改めて考えた。プログラムの全体を通して、変化をとらえる際の計量分析の手法の有効性とともに、すべてが計量分析で説明できるわけではないという点も確認された。三尾先生はコメントのなかで、ディスクリプティブな分析では、計量分析では迫りきれない部分である、例えばそこ(現地)に生きているひとがどう感じているのか、どう変化を認識しているのかということを問題とし、価値論や人生観・歴史観につながる議論をひらく可能性があることを示唆された。この点において、私自身が従事する作家・作品研究を母体としたインドの美術史・「イメージ」の歴史という、極めて記述的な研究(おそらく文学研究も同様であろう)が、地域研究における果たすべき役割を再認識させていただいた。上田研究員のコメントにあったように、やはり自身の領域における研究を鍛錬した上で、本プログラムで浮かび上がった論点について議論を深めるという姿勢を持ちたいと思う。

氏名:三尾稔(国立民族学博物館)

インドだけではなく、パキスタン、バングラデシュ、ネパールなど南アジア諸国を専門的調査地として研究を志す若手研究者が多数参加して議論が出来たことは大変良かった。とりわけ、日本の南アジア研究者のなかではパキスタンを専門とする研究者が、他の国々・地域を専門とする研究者と比べると希少だっただけに、パキスタンでの調査研究を志す若手研究者が3名も参加したことを心強く思った。コメントでも述べたことだが、インドを専門とする研究者の中には現代インド国家の現状や独立後の経緯をもって「南アジア」全般を類推、表象してしまう傾向が時に見られる。今回の合宿は、その誤りを強く認識させるものだった。若手研究者の育成という観点から見ると、パキスタン・バングラデシュ・ネパール・ブータン・スリランカなどを専門的な調査地としようとする若手研究者は、自分の所属する大学や大学院を越えて相互に議論を戦わせる機会や場が相対的に少ないということが、今回のような合宿での参加人員構成に反映されたのかも知れない。さまざまな国や地域を専門とする研究者が参加して、互いの視野を広げるためにもこのような合宿は意義が大きいと感じた。逆に言えば、インドを研究しようとする若手研究者の参加が相対的に少なかったことは心もとない。インド研究の若手の奮起も期待したい。

「地域」ということで言えば、「現代インド」にせよ「南アジア」にせよ、取りあえず問題設定をする上でこのような空間を考えるのを否定するわけではないが、これらの地域が所与ではなく、多分に政治的な権力関係の作用の中で析出したという自明の前提を意識しつつ、この「地域」設定自体を相対化する視点を持つことも重要だと自戒を込めつつ再認識させられた3日間であった。

2日目の夜から3日目にかけては、田辺氏の提示している「インド的発展経路モデル」をめぐって、若手研究者を中心に熱のこもった議論が展開された。モデルの検証、概念の明晰化はモデル自体を発展させると同時に、それを乗り越えて新しい地域研究へのアプローチを作り出してゆくためにも是非とも必要である。それが若手のイニシアティブで企てられたことは、当然ではあるけれども、大変心強く思った。

氏名:水澤純人(京都大学大学院)

非常に密度の濃い、刺激的な三日間であり、このような貴重な機会を与えて頂いたことに、素直に感謝している。合宿では、個々の発表内容に加え、統一テーマ・各パネル・テーマの趣旨と関連する関心事項について、活発な議論が闘わされた。ここでは、そうした議論の中から私自身も反省的に考えさせられた三点について、自身の今後の研究への活かし方も含め、言及したい。

まず一点目は、「変化」を語ることの難しさである。この難しさは、二点に由来する。一つは、“いつ”・“どこで”・“誰にとっての”・“どのような”変化に着目するのかが、学問分野ごとに異なる事である。二つ目は、仮にこうした異なる分野で語られる複数の「変化」を横断するようなより構造的な「変化」があるとした場合、その構造的な「変化」をどのように定義するのかである。これは、「変化」の前後をどのように結びつけて語るのかという問題とも関わっている。議論では、相互に関わりのない断絶でもなく、一方で別のものに全てが変わってしまったわけでもない、連続性と残存を保ちながらの変化という見方が出されていた。

「変化」を巡るこれらの議論は、教育の変化を、制度と人々の意識両面からみていきたい、私の研究関心にも当てはまる事である。制度においては、教育史の主要なテーマである近代学校教育開始以後とそれ以前の「分断」をどのように考えていくのかが、人々の意識の面では、教育普及を、人々の時間認識・人生観といったものまで含みこむ構造的な変化の後に起こったものとした場合、そうした変化全体をどのように考察対象としていくのかが問われている。

二点目は、地域研究を、個々の学問分野の成果を活かしながら、どのように進めていくべきかという問題である。個々の分野の研究では、特定の事象について、綿密な、実証的分析が行われている。そして、地域研究は、そうした個々の分野の成果を統合しながら、一つの地域“理解”のあり方としての像を提示する。一方、そうした像の妥当性もまた、個々の分野による分析に依存するが、現実には、そうした統合と再度の分析が各分野の研究者・地域研究者相互の理解のもとで進められているかというと、議論では対話の綻びの方が明るみとなった。

細かな事象の綿密な分析と、個々の事例・分野を跨いだ統合的な視座の両方が大切であるが、それを個人としても、組織としても実現していくことの難しさを改めて痛感させられた。

三点目は、南アジアという地域枠組みの有効性である。インド亜大陸に複数存在する異なる国民国家を一括りにするのは、そこに何らかの共通性がある事を前提とする。しかし、そうした共通性についての認識は、個々人が対象とする地域・時代の制約を受け、研究者間で十分な共有がなされているとは言えない。今後、国民国家成立以降の「変化」とそれがもたらす国家間の相違に着目した研究が進展するとすれば、「周縁」とされる国を研究する私としても、是非とも、貢献していきたいと考える。

氏名:宮本万里(国立民族学博物館/人間文化研究機構)

本年度の合宿は、箱根でおこなわれた。到着までに多少の時間を要したが、山中で隔絶された合宿所は参加者の連帯や集中力を助けるという点で適当であり、新鮮な空気は短い休憩時間でのリフレッシュに大いに役立ってくれた。2012年度の合宿のプログラムでは、グローバル化、自由化、分権化という三つのテーマを設定して実施された。分野横断的な対話をすすめ諸領域間の接続可能性を探るという点が合宿全体の大テーマとして掲げられており、参加者全員がその点に関して合意があったことは、自身の専門分野での理解を絶対的な前提として議論することをある程度抑制し、相手の立場に立って考えつつ対話の糸口を見つける、という学際的な共同研究にとっては不可欠な視点を、参加者全員に多少なりとも醸成し、議論の活性化を促す一助となったのではないかと思う。

三つのテーマに関しては、グローバル化が最も広い事象を扱う概念として捉えられていたように思う。自由化と分権化は、言葉の狭い定義で考えるか、あるいはそれらの概念が覆う事象をより幅広く捉えるかによって、理解が大きく異なってくる。主催側ではこれらの用語をなるべく広い文脈で捉えて考えていくことを主眼としたが、それが応募者・発表者側にとっては議論のフォーカスを拡散させ、関連付けて議論することを難しくしてしまったという点があったかもしれない。というのも結果的に、パネル趣旨への関連付けの努力が十分になされていない発表が多く出てしまったからである。個々の事例や専門分野から、それぞれの概念をどう捉えることができるのか、についてより積極的に見解を戦わせることができたら、パネルの趣旨はもう少し生きたであろうが、それについては募集要項作成時の企画側の工夫も十分ではなかったと自省すべきだろう。

総合討論においては、いかにして「変化」を捉えられるのか、捉えるべきか、という総合テーマに関して、個々のコメンテーターがそれぞれの立場から意欲的な試論を展開し、全体討論に緊張感を与えてくれた。それらの試論をとおしてみていくと、個々の学問分野や関心によって変化の捉え方自体に違いがあることが、改めて明らかになるとともに、異なるディシプリンを持つ者が共に集って「変化」を考えるという場を設けることの意味と重要性もまた浮き彫りになったように思う。

また、現代インド地域の変化や自由化その他の事象を語ろうとするときに「非インド地域」を等閑視することが無批判に受け入れられる一方で、南アジア地域研究といいつつインドの事例のみをもって語ることを問題化しないというあり方について、インド地域の研究者から改めて疑問が投げかけられたことは、新鮮な驚きであった。この問題を一度立ち止まってきちんと考えてみるべきだという指摘が、今後の研究会やシンポジウムにおいても真摯に捉えられ、生かされれば、今回の合宿参加者の多くがそうであったように、南アジアの非インド地域を研究する多くの若手研究者たちを巻き込みながら、より一層活力のある議論を展開できるのではないだろうか。

氏名:和田一哉(東京大学現代インド研究センター/人間文化研究機構)

個人的には、分野横断的な研究の可能性を探る、大きな機会として捉えた今回の合宿であった。学生時より途上国開発における分野横断的な協力の重要性を意識してきたが、同時にその難しさも痛感してきた。INDASのプロジェクトはその可能性を改めて追求する良い機会であったはずだが、その困難さゆえに、自らの研究を優先しがちになり、いくぶん消極的になっていた点は否めない。

しかし今回の合宿に関しては、企画段階から分野ごとのセッションにするか、キーワードを設定してセッションを組むか、研究員間で議論が活発に行われた。その過程で、小西氏を中心に異分野間で共通の問題あるいは問題意識があぶり出され、今回の合宿のテーマへと結びついたこと自体、ひとつの成果であったと認識している。またその時点で、これまでで最も深い議論となっていたという点にも異論はないと思われる。

また合宿における各報告後のディスカッションにおいても、それぞれの専門を背景とし、非常に有益な議論がなされたように思う。また特に田辺報告後の議論は、本合宿できわめて意義深いものであったと個人的には感じている。各コメントに丁寧に対応してくださった田辺先生に深く感謝したい。また、本合宿の骨太の方針を示してくれた小西氏に深く御礼申し上げたい。一方で、企画当初からセッションにかかわらず全研究員による活発なコメントや議論が予想されたこともあり、学生参加者の皆さんに対しては、発言機会が相対的に減ってしまった点をお詫びしたい。

分野横断的な研究や意見交換は、やはり困難であると痛感した合宿であった。とはいうものの、本合宿での活発な議論を通じてその可能性を改めて見出すことができたのは幸せであった。しかしやはり、最後の上田コメントにあったように、それぞれのディシプリンを磨くことなく分野横断的な研究などあり得ない、という点は、常に心に留めおきたい。自らのディシプリンの向上なくして自らの専門分野の長所も短所も見出せないし、ゆえに分野横断的な協力の可能性を見出せるはずもないのである。

»「現代インド・南アジア次世代研究者合宿」2012

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