【現代インド・南アジア次世代研究者合宿 受講生研究発表】発表者:須永恵美子

現代インド・南アジア次世代研究者合宿

氏名:須永恵美子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
発表タイトル:「ムスリム・アイデンティティと言語―1971年前後のパキスタンにおけるウルドゥー語促進運動をめぐる論争―」

本報告では、「パキスタン・イスラーム・ウルドゥー」の三者の関係について、言語を切り口として考察された。具体的には、2種類のウルドゥー語の雑誌を取り上げ、具体的な言説からウルドゥー語文学界の発言を分析した。

1947年8月14日、パキスタンは独立した。英領インド下においてムスリムの中で政治的リーダーシップを発揮したのが、ムハンマド・アリー・ジンナーである。ジンナーはセキュラリズムを信条とする近代主義者で、彼の語るイスラームは、インド亜大陸における多数派としてのヒンドゥーに対する戦術で、思想・信条の問題ではなかったとみられる。

建国の理念となったのは、イスラームと「南アジア・ムスリムの共通語」であるウルドゥー語である。独立の指導者であった全インド・ムスリム連盟の党員や、それに共感したムスリムはインド各地からパキスタンに集結した。そこでは、パンジャーブ人、ビハール出身、デリー生まれというナショナル・アイデンティティよりも、ムスリムであるという事実が優先された。このように、一旦はインドという民族アイデンティティを乗り越え集結したパキスタンは、そこから新たなパキスタンとしてのアイデンティティを模索しなければならなかった。

パキスタンの理念との実態の乖離が最も顕著になったのが、バングラデシュの独立である。周知のとおり、パキスタンとインドの両国の間では、1947年、65年、71年に戦争が勃発しており、そのうち、第一次と第二次はカシュミールの領有権に端を発するものであった。また、第三次の衝突を契機に、東パキスタンがバングラデシュとして独立している。これらの事件は、パキスタンに対して「ムスリムであるということがナショナル・アイデンティティとして十分足りえるのか」という疑問を突きつけることとなった。

本発表は、このバングラデシュ独立前後の言語運動に対し、ウルドゥー語文学界がどのような発言をしていたのか、ウルドゥー語雑誌から関係する言説を列挙しその一面を考察した。結論としては、ウルドゥー語とイスラームの結びつきが強調されていたことや、言語運動を契機としてパキスタンという国家領域と言語、イスラームという構造の矛盾が解消されたことが明らかになった。

この発表に対し、技術的・内容的など様々な角度から。言語の仕様状況、公用語の地位、雑誌の位置づけといった質問の他、公用語をどのように認識するかの評価などについてコメントが寄せられた。

»「現代インド・南アジア次世代研究者合宿」2010

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