【現代インド・南アジア次世代研究者合宿 受講生研究発表】発表者:志賀美和子

現代インド・南アジア次世代研究者合宿

氏名:志賀美和子(龍谷大学現代インド研究センター/人間文化研究機構)
発表タイトル:「多元的社会におけるアイデンティティの顕現と可能性―『不可触民』の場合」

人のアイデンティティの在り方は多様かつ多面的である。しかし、被差別意識や文化的差異が認識・共有される過程と、それが社会運動、政治運動の原動力となっていく過程が、補完しあって、特定のアイデンティティが強調され先鋭化する場合がある。とりわけインドにおいては、植民地時代にその起源を有する宗教別属人法やカーストを単位とする留保制度などの存在ゆえに、アイデンティティの在り方は政治社会動向に直結する問題として常に注目されてきた。

なお、アイデンティティとは、個人レベルと集団レベルのものがあるが、個人は自己とは異なる他者存在を前提として自己が所属する範疇を認識するのであり、その意味で、アイデンティティは、個人レベルであれ集団に所属するものとして自覚され、かつ個人/集団を差異化する過程を必然的に伴うものである。

今日では、個人のアイデンティティは複層的であるということはほぼ前提とされている。しかし、その複層的アイデンティティからどの層が顕現するかについては、ダニエル・ベルなどが主張する自由な選択が可能とは限らない。看過されてはならないのは、他者による集団アイデンティティ付与の暴力性・差別性である。「マイノリティ」は、「マジョリティ」としての他者が支配する土俵上で、まず「自己命名権」の獲得によるアイデンティティの確立からスタートせざるを得ないのである。

インドでは、「人間である権利the right to be human」を求める運動の台頭とともに、集団アイデンティティが顕現してきた。例えば、開発・環境問題とトライブ、差別・留保制度と指定カースト、コミュナリズム・セキュラリズムと宗教マイノリティなどである。これらの集団アイデンティティがときに問題視されるのは、それが均質な個としての市民/インド国民としてのアイデンティティ確立を阻害すると見なされるためである。アマルティア・センは、セキュラーな社会における宗教的文化とアイデンティティの維持を容認しつつも市民/国民としてのアイデンティティをその上位におくことを理想とし、ロールズは、多元主義という現実を尊重するからこそ公的領域には「市民」として参加するべきだと訴える。しかし、「マイノリティ」として「人間である権利」を求める集団が、戦略として情動的アイデンティティに訴えるのを否定するのは、集団間の非対称性と抑圧性に無自覚な「マジョリティ」による多数派の専制ともいえる。田辺明生は、サバルタンが日々の関係性の中でカーストなどの「伝統的」アイデンティティを再定義し活用していく過程に肯定的意義を見出している。

ただし、カーストや宗教に「集団」としての権利を容認することは、集団内部の多元性や差別・抑圧構造を隠蔽する危険性を伴う。例えば、タミル・ナードゥ州では非バラモン/ドラヴィダ民族の均質性イデオロギーのもとに「不可触民」としてのアイデンティティの顕現が抑圧されてきた。さらに現在進行しつつある「不可触民」の団結は、内部のサブカーストの上下関係や女性抑圧を隠蔽している。「マイノリティ」が如何にして「人間である権利」獲得を目指しながら同時に内部多元性に伴う問題を解決するか、「マイノリティ」と「マジョリティ」の双方が対応を迫られているのである。

【議論内容】
フロアからの意見と議論は、「アイデンティティ」の捉え方が論点となった。根本氏からは、関係性のなかで認識され他者存在との差異化を必要としないアイデンティティと、集団に属しているという想像に基づくアイデンティティがあり、範疇を分けて検討するべきではないか、という指摘がなされた。報告者はこれに同意しつつも、インドの現状では、被差別集団としての「マイノリティ」の権利獲得が問題となっているために「集団アイデンティティ」の形成過程により着目していると説明した。上田氏からは、多元的社会をインド特殊な状況と捉えているのか否かという質問がなされた。これに対し報告者は、いかなる地域も国家も多元的社会であり、例えば相対的に「均質的な日本」に住む日本人が部落やアイヌや沖縄の問題、ジェンダー問題に無自覚になりがちなように、あらゆる国家、地域の優勢集団は「マジョリティの専制」に自覚的であるべきだとした。

»「現代インド・南アジア次世代研究者合宿」2010

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