【現代インド・南アジア次世代研究者合宿 パネルのまとめ】パネル3:「アイデンティティ」

現代インド・南アジア次世代研究者合宿

報告者氏名:岩田香織(東京大学文学部)

本パネルでは、まず志賀報告で「アイデンティティ」の字義、機能、「アイデンティティ」を巡る一般的議論が改めて細かく点検された後、南アジアの具体的事例においてアイデンティティがどのように問題となってきたかについて幅広く全体像が整理された。これにより、その後の4人の発表が行われる上での重要な概念的見取り図が呈示された。志賀報告の中で特に強調されていたのは、アイデンティティが他者の存在を前提に、それと区別する形をもって個人レベル・集団レベルで作られる点である。特に、志賀報告の問題意識の中心は、「自分たちではない存在」として他者により付与される集団的アイデンティティの暴力性(「白色人種ではない人種」としての「有色人種」などが例示された。またこうした構図は本質的に「マジョリティ」による「マイノリティ」創出の状況と重なってくる)であった。報告者は、そうした排外的な集団アイデンティティは、ある人々のアイデンティティ選択の自由を脅かすのではないか、ということについて注意を促した。

これに対して、フロアーからは、アイデンティティについては「他とは異なる自分」という決まり方だけでなく、「他との関係性における自分」(兄弟関係におけるアイデンティティは「兄ではない弟」として決まるのではなく「兄に対して、弟」として存在することなどが例示された)という在り方も同様に存在するのであり、それを見逃すべきではないことが指摘された。

その後の根本報告・山本報告では、どちらもきめの細かいフィールドワークにより、個人の内面レベルにおいて、アイデンティティの境界線を曖昧にしている人々(根本報告における「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」、)、異なるアイデンティティの狭間でゆれ動き葛藤している人々(山本報告における「どっちつかずの居場所」)について、何か共生や融和の可能性が示唆されている点で偶然にも共通性がみられた。

また、小野報告・須永報告では、個人の内面レベルより、集団レベルでのアイデンティティの在り方に関心の中心が向けられていた。小野報告では、パキスタンの「バングラデシュ移民」に特にフォーカスすることにより、アフガニスタン人などパキスタンの他の移民との対照の中で、バングラデシュ移民のNARA登録(外国人アイデンティティを受け入れること)への抵抗などが特徴的に描き出されていた。須永報告は、精緻な史料読解によって、言語と集団アイデンティティの結びつきがいかに模索され、形を為していったかについての考察を示した。小野報告は空間軸の、須永報告は時間軸の変化(飛び越え)による集団アイデンティティの変容・模索を考えようとしているように、個人的には感じられた。

 

報告者氏名:中野歩美(熊本大学大学院社会文化研究科)

パネル3では、アイデンティティをテーマとして5つの発表が行われた。発表ではカースト集団から宗教コミュニティ、移民、国家まで、さまざまな社会的次元に立ち現れる集団的アイデンティティに対して、個々の興味深い事例から鋭いアプローチがなされていた。

本テーマで中心となった議論のひとつは、一見収束しているように見える集団内部の動態性・多様性や、個々のアイデンティティと集団のアイデンティティの関係性をどのように捉えるのかという点であったように思える。このような問題意識や関心について、より具体的には、ある社会集団のアイデンティティというものを個々の成員がどのような過程で獲得・内面化していくのかということや、社会集団の掲げるイデオロギーが個人のアイデンティティを均質化させる動きがあるのではないかという論点から、分野を超えた活発な議論が展開された。

発表で述べられた個々の事例を総括することは非常に難しいが、パネル3の全体に共通する論点をあえて挙げるとすれば、それは、アイデンティティというものをすべて「個人‐社会」という枠組みに還元するのではなく、人びとのつながりそれ自体にもっと重点を置く必要があるのではないかということだ。

もし一つのアイデンティティを備えた社会集団的な枠組みを想定したうえで人びとの実践を捉えようとすれば、否応なしに枠組み自体が固定的・静的な基準となって、人びとのあいだに機械的に「内‐外」という二項対立をつくりだしてしまうだろう。そして、その基準のみに焦点化して人びとのアイデンティティを考えようとするならば、いとも簡単に枠組みを飛び越えてしまう人びとの柔軟な動きを理解することは、ますます難しくなってしまうかもしれない。

社会的集団として規定される枠組みをそのまま個々の成員のアイデンティティに当てはめるのではなく、人びとのつながりに着目し、その関係性から人びとのアイデンティティを捉えようとする動きは、外から規定された枠組みにとらわれない、人びとの行為主体性を読み取っていくことに他ならない。

いずれにせよ、グローバル化や資本主義経済の浸透に伴い、この先もインド・南アジア社会のありようや人びとのつながりがますます複雑な様相を示していくことは間違いないだろう。私たちは、より多くの思いが交錯し、相互に作用しあう中で生じる人びとの社会的実践を、どのように捉えていくことができるのだろうか。この先もさまざまな視座からさらに議論を深めていく必要があるだろう。

 

報告者氏名:上田知亮(京都光華女子大学)

»「現代インド・南アジア次世代研究者合宿」2010

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