【現代インド・南アジアセミナー 受講生の感想(五十音順)】

現代インド・南アジアセミナー

氏名:板倉和裕 (広島大学大学院社会科学研究科)

 

氏名:岩田香織 (東京大学大学院人文社会研究科)

 

 

氏名:岩間春芽 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

全体の感想
今回のセミナーでは、インド及び南アジアに関する様々な分野の研究を一度に聞くことができた。学会でもここまで何日も続くことはないので、貴重な機会であったと思う。ただ、分野が多岐にわたっていたために正直なところ、ちゃんと理解できているのか不安なものも少なからずあった。自分と同じ文化人類学の専攻の研究者も少なく、自分がここにいていいのだろうか、発表していいのだろうか、という不安がずっとあり、積極的な発言を促されても発言することを躊躇せざるを得なかった。おそらくこのセミナーを一番有効に使えるのは学部生で南アジアに関心を持ち始めた人たち、あるいは修士1年で学んでいる院生である。彼らならば自分が具体的にどの分野でどのような研究をしていくかの指針を決める上でこのセミナーを有効に使うことができたであろう。博士課程で自分の専門が確立しつつある自分にとっては範囲が広すぎるように感じた。もちろん、自分が発表させてもらうことで他の方の意見をもらい、研究を向上させることができた点は有益であったが、聞く側としてすべての発表の内容に関心を持ち話についていくことは難しかった。数名の先生が指摘していたように自分の専門にこもらずに他分野にも広く関心を持つことも大切なことではあるが、そればかりでも困る。よって、今後は発表者と受講者の線引きをするなどして、セミナーの内容にあう受講者をうまく集められるようにした方がよいのではないかと思う。

個別の感想
自分の専門に近く、関心を持って聞けたのは一つ目に松本先生の「現代インド・南アジアに関する資料の概況」であった。インドに関する話が多く、ネパールの研究をしている自分には直接関係ない部分もあったが、ネパールの文献収集で自分一人ではわからない部分を個別に質問し、答えていただくことができたのは有益だった。二つ目には三尾先生の「『還流』するインドの宗教を人類学する」であった。私は同じ人類学とはいえ宗教は一番の苦手分野であり自信がないが、グローバリゼーションの理論を引用するならばアパデュライの移民の研究のほうがぴったりくるかもしれないと少し思った。

 

氏名:香月法子 (中央大学政策文化総合研究所)

参加自薦書でも述べたとおり、パールシーを形成してきたインド社会やパールシー以外の人々を知ることは、パールシーをパールシー・コミュニティの外から客観的に見る材料となる。このことは、パールシーをパールシー・コミュニティの内側から見ただけでは分からない、パールシーの特異性を明確に切り出すことができるであろう。これはパールシーのアイデンティティとは何か明らかにするにあたって、最も重要なことと考え、今回、セミナーに参加した。

この目的はすぐに果たせるものではないが、今回、セミナーに参加して、その発端に触れることができた。特にこれまで研究で度々渡印してきたものの、パールシー・コミュニティの外との接触がほとんどなかったので、近現代の研究を中心とした受講生による発表及び講師の先生がたによる講義は、パールシーが生きるインド社会を広く知る機会となった。その中でパールシーの歴史にも関わってくるような内容は、彼らの歴史を考える上で、新たなヒントとなった。また現代インドを研究する際に、広く俯瞰することは容易ではないことも分かった。ここに近現代の経済的発展及び宗教全般に関する講義等がなかったことは、唯一残念なことである。

受講生の研究発表に関して、自らの研究内容との共通点を探すなどして、発言を試みたが、一般的な疑問を脱しなかった点は、今後のための反省点である。そしてこのような三日間で、同じ若手のインド研究者と交われたことや、第一線で研究される先生がたと、お会いできたことは今回のセミナーの最大の成果であった。

以外であったことは、周囲にインド研究者がいないという参加者が少なくなかったことである。報告者もその一人だが、そのような研究者にとって、今回のセミナーは大いに刺激となったといえるだろう。しかし一方で次の日から、以前と変わらず的確な指導者がいない中で、独自に研究を進めて行かなければならないというのが現状でもあろう。確かに研究とはそのようなものであるけれども、独り故に遠回りをするような研究をしていては、いつまでたっても日本のインド研究に厚みがでないのではないだろうか。しかし他大学の諸研究者から指導を受けることは、いろいろと容易ではないのも事実である。そのような直接的な指導までとはいかなくとも、少なくとも南アジア研究の基礎にアクセスする方法や情報などを一つに集めたサイトなどがあれば、いくらか研究を行う上で不必要な障害を取り除けるのではないだろうか。

もちろん今回のセミナーのように、実際に集い、ある期間を共有し、交流することが研究手法を知る上で最も有効な方法であると考える。今後もこのようなセミナーがあれば、可能な限り参加したい。

 

氏名:柄谷藍香 (大阪大学大学院国際公共政策研究科)

本セミナーにおいては、ムガル帝国論や「インドのイスラーム化とイスラームのインド化」といったインド史論等のダイナミックな南アジア研究から、南アジアに暮らす人、一人一人に焦点をあてた地域研究があり、歴史上におけるインド及び現代のインドを取り巻く問題を網羅したものであった。各問題に対するアプローチ方法も教育学、経済学、歴史学、社会学、国際関係論、人類学等、多種多様であり受講生にとって飽きさせない非常に刺激的なセミナーであった。

私が特に関心を抱いた講義・発表は二つある。一つは押川文子先生(京都大学)の「インド社会と教育:制度改革と能力主義のはざまで」、もう一つは、高田洋平氏(京都大学大学院)の「ストリートで生きる子どもたち―ネパール、カトマンズのストリートチルドレンの日常実践―」であった。上記二者の講義・発表はいずれも私の研究課題と関連性があるものである。

押川先生の講義において興味深かった点は、遵守しているか否かは定かではないが、インドでは非常に一貫した「制度」への志向があるということである。インドにおいて法制度は成文化されているだけで実質的には機能していないという偏った考えを抱いていたので、制度が成立すると、その制度はある程度社会に定着し、且つ社会は変わるといった概念に改めて自身の考えを再考させられた。

また、高田氏の発表に関しては、これまで私が抱いてきたストリートチルドレン像を覆された。ストリートチルドレンは児童労働の一形態で、行き場を失ってしまい、路上で働きながら生活をする子どもたちのことを指すと思い込んでいたが、必ずしもそうではなかった。「都市生活への憧れ」という積極的な意思をもって都市に出てくる子どもたちが全体の54%と半数以上にも上るということである。私が研究対象としている児童労働者は、生活困窮のため働かざるを得ない境遇にある子どもたちであるが、ストリートチルドレンは無法者という側面もあり、且つ救済すべき対象でもある。自らの意思でストリートチルドレンという状況に至っている子どもたち及び自らの意思に反して児童労働を強いられている子どもたちの両者を孕んでいる問題は複雑ではあるが、人間が人間として人間らしく生きていくために、子どもたちを救済し、教育を保障することは必要不可欠であると改めて確信した発表であった。

最後に、一つ一つの事項を取り巻く様相は多種多様であり一概に白黒をはっきりさせることができないところにインド研究の面白さがあると本セミナーで会得した。今後、本セミナーで得たことを踏まえて研究に精進したい。

 

氏名:河合豊明 (広島大学大学院文学研究科)

本セミナーに参加した中で,特に強く印象に残ったことを2点挙げる。今回のセミナーでは,現代南アジアという共通のフィールドを持ちつつも,様々な視点,立場から研究を行っている研究者,学生が集まった。

強く印象に残ったことの1つ目は,自分がこれまでに気づいていなかった事象に注目させられたことである。私は日常的に人文地理学という分野に軸足を置いているため,人々の暮らしの中にある相互関係や,人々の経済活動に興味が向きがちである。しかし,本セミナーで議論されたテーマは,私がこれまで気にすらしてこなかったような内容について,幅広い分野に渡って発表が行われた。同じフィールドを対象にしていてかつ,違う分野で活躍されている方と共に議論をする機会は,私にとっては初めてのことであった。例えば政治学では,南アジアがどのように目に映るのか,文化人類学では,南アジアのどういったものに興味が向けられるのかということを感じるだけでも,新鮮であった。

そして2つ目は,それぞれの専門分野の基本姿勢を見失わないということである。地域研究は学際的な研究が行われるものであり,同じ分野の誰も探求したことのないような事象を調査することは大切なことである。しかし,軸足を置く分野の基本を見失ってしまうと,意味のある研究とは言えなくなってしまう。今回のセミナーでは,参加者が分野にこだわらない横断的な研究を進めているという点が非常に印象的であった。しかし,参加者それぞれが軸足を置く分野の基本を見失ってはおらず,独自性を踏まえた発表やコメントを述べられていた。中でも債務児童という政策科学の視点から教育・貧困の両側面を持つ問題を捉えた柄谷報告や,文化人類学の手法によって,産業の国際比較優位という点に着目した川中報告は,それぞれ分野横断的な研究でありつつも,それぞれが軸足を置く分野の基本的姿勢を見失うことなく研究が進められていた。

インドのグローバル化がより一層進展していく中で,インドは何を捨て,何を得てゆくのか。また,何を頑に拒み,どの多様性を認めながら発展を進めていくのか。これを把握し,理解するためには,やはり分野を横断する学際的な研究が求められるだろう。インド人のことは,インド人が一番よく知っているというのは当然のことであるが,日本人という軸足と,各々の軸足である専門分野の基本を見失わず,謙虚に南アジア地域を見つめることで,これまでにない独自性を保った研究が成せるのではないだろうか。

最後に,本セミナーでの経験は,今の自分に確実に何らかの影響を与えた。本セミナーに参加したことによって,今後の自分にとって大いに役立つ視点や情報,そして仲間を得ることができたという,かけがえのない機会であったことは間違いのないことである。

 

氏名:川中薫 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

3日間のセミナーでは、現代インドに関する歴史学、公共政策、国際関係、人類学といった幅広い分野の研究成果についてふれ、学ぶ機会を得ました。また、至らない内容ながら発表する機会を頂き、開発経済学、人文地理学、政治学、人類学の先生方から多くの示唆に富むご指摘を頂くことができました。

分野を超えた講義を受け、議論し、考えることができるのは、地域研究の醍醐味であり、一方で義務であるのかもしれません。興味や関心のある分野にとどまらず、多くの研究成果にふれ、自分なりの意見を持つことができるよう、さらに勉強していきたいと思いました。

初日から最終日まで、セミナーでは集中的に勉強し、休憩時には先生方や院生のみなさんと現地の調査について情報交換するなど、学ぶことが大変多い貴重な機会でした。本当にありがとうございました。

 

氏名:清田智子 (拓殖大学大学院国際協力学研究科)

インド地域研究はいかに発展を遂げていくべきか。安全保障論からインドについての博士論文を執筆中の筆者は、本セミナーに参加し、この問をあらためて考えさせられることになった。なぜならば、筆者にはこのセミナーが、インドや南アジアという地域をリングに展開された異種格闘技戦だと感じられたからである。歴史学、社会学、人類学、経済学、政治学、国際政治学とあらゆるディシプリンを専攻する専門家が揃い、各自が正しいと信じる研究手法を説く。

筆者がこのような疑問を抱くのは、筆者の指導教官の一人から、「地域研究にも共通の方法論があり、それぞれ単独の地域の研究にも地域固有の研究ディシプリンがあるはずなのに、それをちゃんと学ばずに、地域に行っていれば偉いという傾向が地域研究者には見られる」という指摘を受けていたからである。ゆえに現代インド・南アジアセミナーに参加した一番の目的は、多くの南アジア地域研究者との交流を通じ、同地域研究の共通のディシプリンを学ぶことであった。しかしながら、果たして日本の南アジア地域研究に、共通のディシプリンが存在し、それが全ての研究者に共有されているとは、少なくとも本セミナーの中では認識できなかった。(それは、長崎暢子先生が『現代南アジア①地域研究への招待』で、「現在の南アジア研究は一方では興味深い、ダイナミックな展開を示しながら、他方では、きわめて専門家、細分化しており、何が問題なのか、何をどこまで明らかにしてきたか、非常にわかりにくい有様である(4頁)」と指摘していることからも、完全に間違いではないと考える。)

唯一、筆者にヒントを与えてくれたのは、防衛大学校の伊藤融先生の講義であった。現代インド外交について話されたこの講義では、これまでの欧米の国際政治研究(IR)に毒されたインド理解を批判し、インドという地域に根差した新しい見方が提示された。欧米のIRをインドに引き付け、それを上手にインドという地域に融合させ発展させていた。依然としてインドを、欧米のIRに依拠した単なる一事例としてしか分析できていない筆者には、非常に参考になるものであった。

単に欧米のディシプリンをインドや南アジアに適用させるのではなく、また、単にフィールドワークで知ったことをそのまま伝えるのでもなく、同地域を正しく理解するための共通のディシプリンはいかに確立されるべきか。おそらくは数年で答えの出るものではないだろうが、この「現代インド研究」の枠組みは、こうした問いを考える上で貴重な場であると思った。とても有意義な3日間であった。

 

氏名:小西淳子 (立命館大学文学部)

この度の現代インド・南アジアセミナーでは、講師の先生方や研究生の方々の多岐にわたる講義・発表を拝聴させていただいた。私自身このような場に出席をするのは初めてのことで、学部生でありかつインド・南アジアについて専門的な知識がないにも関わらず、過去にインドはコルカタに住んだ経験からご縁を頂戴し、今回のセミナー参加の機会を得た。また、自身の専攻である日本文化を複合的に研究する「京都学プログラム」においても、かねがね何かインドと結び付けて研究は出来ないかと考えていたこともあり、その糸口がつかめればと応募に至った。違う分野を専攻する私にとってインド・南アジアの研究者の方々が集うセミナーに参加をすることで、学部生のうちから専門的な研究・発表の場を目の当たりにし、その圧倒的な学識や躍動感にあふれる質疑応答から多くの刺激いただいた。

講師の先生方のマクロヒストリー講座や現代インド・南アジアについての各分野の講義の中で多角的な内容に触れ大変密度の濃い三日間を過ごした。稲葉穣先生の「『初期イスラーム時代のインド史』論」ではヒンドゥーとムスリムの互いの認識や曖昧さについて、三宅博之先生の「南アジアの環境問題へのアプローチ―都市環境を中心に」では有価廃棄物回収人へのアプローチや不浄に対する距離感について、それぞれ専攻分野との関連性を感じ、ぜひこれらを持ち帰って学びに生かしたいと思った。そして切願して聴講させていただいた押川文子先生の「インド社会と『教育』―制度改革と能力主義言説」においては、教育システムの複雑な背景や近年起こっている新たな思潮や取り組みなどいずれのお話も深い感銘を受けた。受講生の方の発表では、特にインドの産業や児童・家庭問題などを興味深く聴講し、発表に対する諸先生方や他の受講生の方による質問・コメントが印象的で、調査方法から言葉の選び方に至るまで今後の参考になることばかりで学部生として得るものの多い時間であった。セミナー後は懇親会などでリラックスして話せる場所を提供してくださり、インドの何気ない話で他の受講生の方々とも距離を縮めて会話をすることができ和やかな時間を過ごした。

インドに暮らしたころからもう7年の時が経ち、少しずつ興味関心が多方面、他地域へ移りつつあったこの頃に本セミナーに参加する機会を得、インド・南アジアへの求知心が再燃したことは言うまでもなく、これからの自身の学びに大きなインパクトを与えた三日間であった。最後にこのような機会をくださった現代インド・南アジアセミナー関係者の皆様には心より御礼申し上げます。

 

氏名:坂田大輔 (横浜国立大学大学院国際社会科学研究科)

私にとって本セミナーの最大の魅力は,極めて多彩な講義と報告のテーマであった。まず,3つの南アジア・マクロヒストリーでは,それぞれ「初期イスラーム時代」「ムガル帝国」「インド洋西海域」という切り口から,南アジアの変化を局地的な変化としてではなく,世界的な歴史変動の中で捉える視点を示して頂いた。さらに,「環境問題」「教育」「資料」「外交」「宗教の環流」というテーマからそれぞれ南アジアにアプローチする先生方の講義は,これまで私が十分に考察の対象としていなかった部分についての視座を与えてくれるものであり,自身の研究対象であるインド統計制度の研究においても考察の対象とすべき事柄がまだ多くあることに気づくことが出来たのは幸運だった。そして,私にとって喫緊の課題の一つはインドでの資料収集であったが,上記の「資料」をテーマとした松本脩作先生による講義「現代インド・南アジアに関する資料の概況―社会科学・人文科学分野を中心に」は,この点について大きな前進をもたらしてくれた。このように資料面に対して,しかも,自身が研究する地域について,まとまった時間での講義をして頂くという機会は非常に貴重であると思う。独立後インドにおいて一次資料を収蔵する各種図書館等の情報,及びそこで資料を探す際に有用な文献の存在,そして,中央で収集されていない州レベルでの資料がかなり存在している可能性があるといった点は,今後,これまでの考察をより深め,さらには州レベルへ考察の範囲を広げていくためも特に重要であった。

受講生による研究発表では,内容もさることながら,発表者の多くが独自の現地調査から得られたデータ・情報を基に研究を進めている点に大きな刺激を受けた。先にも述べたように統計制度を研究する身としては,現地調査の実体験はインドでの統計作成における問題点を考察する上で貴重な知見であった。そして,既存の統計を利用するのではなく,独自の現地調査を必要としたという点も,既存の統計における問題点を考察する上で非常に重要である。しかし,セミナーで報告者及び他のフィールド調査経験を持つ先生・学生の方々にこの点を十分に聞くことが出来なかったのは,今回の最も大きな反省点である。

最後に,自身の発表について述べさせてもらうと,私はこれまで研究成果を主に統計の専門家の前で発表してきており,南アジアの専門家の前で発表することは初めてであった。したがって,南アジアの,それも様々な分野を専門とする先生・学生の方々から質問・コメントを頂けたことは私の研究にとって非常に有益なことであった。発表及び質疑応答の仔細は別紙で述べるが,特に政治学的な視点は私にとって欠けている部分であり,この視点から質問・コメントを頂けたことは大きかった。今後の研究に必ず活かしていきたい。

 

氏名:高田洋平 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

 

 

氏名:田中紗貴 (神戸大学大学院国際協力研究科)

 

 

氏名:間永次郎 (一橋大学大学院社会学研究科)

現代インド・南アジアセミナーへの参加は、今回が初めてであった。全国各地から講師の方々と、大学院生たちが集まり、三日間にわたり、インド・南アジアに関する幅広い議論が展開された。近年、各学問領域が細分化されている傾向にあって、南アジア研究に関する、このような学際的な場が提供されたこと、また、そこに参加する機会を得ることができたことは幸いであった。多くの著名な先生方による講義と、大学院生たちの発表における斬新な分析の視座は、私自身の研究領域を、改めて客観的に問い直すこととなった。それぞれの講義と発表が、私にとって有意義であったことは言うまでもないが、本報告においては、紙数の関係も含め、その中でも特に印象的であった講義と、それに対する若干の感想を記したいと思う。

南アジアセミナーの最終日において、国立民族学博物館の三尾稔先生が、「『還流』するインドの宗教を人類学する」という刺激的な講義をして下さった。その中で、語られていたアメリカへのインド人移民とそれに伴う、「ヒンドゥー教の『アメリカ化』とその還流」と「『アメリカ』化したヒンドゥー教の還流」という議論は、私自身、以前から気になっており、手付かずになっていた問題関心を新たに鼓舞することになった。つまり、講義の中で、「ヒンドゥー教の『アメリカ化』」の傾向として、ジェンダーの平等やカーストとの無縁性、またキリスト教神学における神論と教会論との類似性が説かれるなど、「社会の主流派への適応性の強調」が窺われることなどについて語られていた。

すでにこれに関連したテーマには、三尾先生自身がご参照されていたように多くの先行研究がある。しかしながら、私個人の関心と照らし合わせてであるが、この問題は、比較神学(Hindu theology、Islamic theology, Jewish theology, Christian theology)や宗教の多元主義の議論において、まだまだ発展途上のように思われる。それは、近年の宗教多元主義や比較神学に関する著名な論者、Jacques Dupuis (1998)、 S. Mark Heim (1995)、 Keith Ward (1994, 1996, 1998, 2000), Diana Eck (2001)、また、Francis X. Clooney(2001, 2005)などの議論を見ても明らかである(例えば、Clooneyが、「告白神学」と「比較神学」の「再統合」を主張するとき、また、Eckが「宗教的多様性」に少なからぬ展望を見いだすとき、彼らの分析の視座は、明らかにアメリカ的価値観に根差しているように思われる)。「ヒンドゥー教の『アメリカ化』」の問題は、今後とも在米ヒンドゥー教徒とその他の宗教者、及び、それらと相互発展的に形成されていく神学の言説の主体が、どのように自らの分析の視座を再定位していくことになるのか、ということに、少なからず左右されていくように思わされた。
今回のセミナーの参加を通し、様々なテーマについて、思いを巡らし、改めて、自分の研究を問い直された次第である。

 

氏名:堀桃子 (南山大学大学院人間文化研究科)

本セミナーに出席したことで、自分の研究姿勢を改めて見つめ直したので、有意義な時間を過ごすことが出来た。自分の専攻する人類学という学問のみならず、他分野の学問から南アジアについてアプローチした発表や講義は、時折理解に苦しむときがありながらも非常に勉強になった。例えば、統計学は、直接的に自分の研究テーマとは異なるが、研究の際に使用するデータに関連する内容だったので、非常に興味深かった。安易にデータを使用するのではなく、どのような趣旨の基で行われたのかを知った上でデータを使用するべきであるということを強く思った。また、同じく文化人類学を専攻する方の発表は、非常に参考になった。フィールドワークのデータを基にした発表は、自分の調査と比較しながら拝聴し、自身の調査で欠けている点の発見やデータの提示方法など学ぶことが多々あった。本セミナーでは幅広い見解から南アジアについて学べることが出来たので、自分の研究に関する情報ばかり集めていたことを反省する非常に良い機会となった。また、同じく南アジアを研究する者同士の交流の場ともなったので、人脈が広がったことも特筆すべき素晴らしい点である。

全体を通して最も感じたことは、南アジア社会の変化に対してどのように研究に取り組むのかということである。個人的な話だが、私の研究テーマはインド・ケーララ州の共産党政権と宗教の関係性である。グローバル化が進み、変化するインド社会において「インド的」なモノを探ることは、私自身の研究でも重要視しなければならない点であろう。南アジアは変化している。この現実に対してどの点を強調して主張するのか、私自身考えていかなければならない。

非常に個人的な感想になってしまったが、本セミナーに参加したことで新たな現代インド・南アジアが発見できたと思う。最後に、本セミナーの主催者や関係者の方々に、充実した時間を過ごすことができたことにお礼を申し上げたい。ありがとうございました。

 

氏名:丸岡夏子 (南山大学大学院人間文化研究科)

9月23日から9月25日まで開催された現代インド・南アジアセミナーへの参加は、私にとって、とても有意義なものであった。このようなセミナーへの参加は初めてであり、不安であったが、同じ現代インド、南アジアを専門とする研究者や大学院生と接することで、よい刺激となった。今回のセミナーでは、大きく2つの事を学べたと考える。

まず1点目であるが、私は今、文化人類学を専攻しており、人類学的な手法を用いインド、特にタミルナードゥ州の太鼓について研究を行っている。学部の頃からフィールドワークの授業を受講し、インドへ赴き調査を行ってきた。その調査では、人々とその周辺範囲の次元のみで考えてしまい、その上の広い次元で物事を考えることができていなかった。物事をミクロな視点で観察することのみで満足してしまい、マクロな視点で考えることができなかった。しかし、今回のセミナーに参加し、講師の方々の講義を聞きまた、受講生皆さんの研究発表を聞くなかで、マクロな視点を持つことによって視野を広げる大切さを学んだように思う。つまり、ある1つの事柄を考察するうえで、ミクロな視点を持つことによって見えることと、マクロな視点を持つことによって見えることは異なる。人類学的な手法を用いるとしても、多角的な視点で物事を見ることによって、さらに理解を深めることができるのではないかと考えるようになった。

2点目は、現代インド・南アジアについて、様々な分野に関することを学べたということである。南インドの不可触民を対象に勉強している私は、どうしてもそのことのみに集中してしまい、他の分野にまで手を広げることができないでいた。しかし、今回歴史や環境に関すること、教育に関することなどの講義を聞き、私自身の知識不足、勉強不足を痛感したと同時に、様々な分野を学ぶことによって私が対象としている地域をさらに理解することができ、研究の深みを増すことが可能になるのではないかと考えるようになった。インタビューをする中で、人々から様々な話、例えば家族のこと、教育のこと、村の事などを聞く機会がある。そこで聞いた話を念頭に置きながら今回の講義を受講すると、人々が私に語ってくれた内容を理解することができ、なるほどと思うことが多々あった。

このように、今回のセミナーで学んだことを2つあげてみたが、これらをまとめて一言で表すと、様々な次元でより広い範囲に目を向け、物事を考察しなければいけないということである。これは、私が今までできていなかったものであり、今後の研究にいかしていきたいことである。

最後に、このようなセミナーに参加することができ、とてもよい経験になった。機会があれば、積極的に参加していきたいと考えている。

 

氏名:横澤彩子 (広島大学大学院国際協力研究科)

 

 

 

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