第4回コラム
龍谷大学拠点「活動の前線の、そして背後の「声」を聴く・残す」
嵩満也(龍谷大学国際学部・教授/龍谷大学南アジア研究センター・センター長)
舟橋健太(龍谷大学社会学部・講師)
南アジア地域研究・龍谷大学拠点では、前身(現代インド地域研究・第一期)の〈龍谷大学現代インド研究センター〉の際には、「現代政治に活きるインド思想の伝統」との研究テーマのもと、各種研究活動を行ってきました。そこでは、龍谷大学が豊富に蓄積するインドの古典知に関する史資料・知識と、特に現代インド政治をはじめとする現地の状況に関する事例研究との結合を図ってきました。具体的には、「現代インドの政治経済と思想」、「現代インドの社会運動における越境」という二つの研究ユニットを組織し、両ユニットは、理論と実証の統合を意識しつつ、インドの伝統思想研究と地域研究との連携と融合に取り組んできました。
龍谷大学は、1639年に西本願寺境内に設立された学寮を前身とし、以来、一貫して仏教を柱とする研究教育活動が続けられてきたことから、仏教発祥の地インドへの憧憬が強く、仏教文化研究の中で、インド及びその文化圏に関する資料を収集してきています。
その代表的なコレクションとしては、以下のようなものが挙げられます。(1)大谷探検隊将来西域資料:各地域に残っていた仏教関連古写本、社会経済文書資料、本簡、碑文、拓本類、貨幣、染織断片、植物標本等です。(2)写字台文庫:歴代の西本願寺門主が蒐集した約420冊の図書で、その中には榊亮三郎博士がネパールから将来した最古のサンスクリット文『無量寿経』などが含まれています。(3)禿氏文庫:禿氏祐祥教授が収集した資料群で、特に東洋の印刷と和紙の研究を中心に、インド、中国、朝鮮、日本等の仏教関係古写本、刊本、版画、拓本等の資料計700点、約2300冊が収蔵されています。(4)藤谷晃道コレクション:多田等観、青木文教らとともに、1910年より始まる第3次大谷探検隊(インド調査隊)に加わった藤谷晃道が、ルンビニー、ブッダガヤ、サールナート、ラージギル、サヘートマヘート、クシナガラなど主要な仏教遺跡を踏査し、持ち帰った記録写真や将来品で、その中には、滞在地コルカタで入手したと考えられる絵葉書なども含まれ、当時の様子を知る貴重な資料と言えます。
なお、これら四コレクションの一部は、龍谷大学古典籍デジタルアーカイブ研究センターによって電子化されており、web上での閲覧が可能となっています。
https://darc.ryukoku.ac.jp/database/
さて、こうした第一期における当センターの最大の成果は、伝統思想の現代的意義という視点が、現代インドの政治・経済・社会の変化を理解するうえでどのように活かされるべきか、翻って伝統思想の研究をいかに活性化しうるかについて多くの議論を重ね、「ダンマ/ダルマ」概念の歴史的・現代的重要性をはじめとする、数々の枢要な知見を得ることができたことにあります。またさらなる成果として、文献的理論的研究に加え、地域研究者が、仏教研究者、現地の実践家や現地在住若手研究者などの全面的協力を得て、改宗仏教徒を中心とした下層民の実態に深く迫り、かれらの一定の地位向上が、宗教思想の変革と教育普及運動の双方に深く関連していることを多面的に解明したことが挙げられます。
以上を受けて、現在に連なる〈龍谷大学南アジア研究センター〉における研究活動では、「南アジアの思想と価値の基層的変化」との統一テーマが設定されています。そのうえで、特に、現代インド・南アジア社会の変容を代表的に表象する「下層民の台頭」に着目し、思想史との連関を念頭に、人びとの生活状況や意識、価値の基層的変化についての研究・分析を行っています。
第一期から引き続く当センターにおける研究活動のひとつの特徴としては、現地(インド)の仏教運動指導者・関係者と密な関係を築き、交流を続けながら、継続的に活動の状況を追いかけているということが挙げられるでしょう。一例として、日本の岡山県・曹源寺(臨済宗)で禅の修行をした、全インド仏教青年連盟会長であるボーディ・ダンマ師に定期的に講演をお願いし、通年的にその活動と変化を追っていることが挙げられます。
ボーディ・ダンマ師の熱のこもった「声」、そして師を媒介としてわたしたちの耳に届く、現地に生きる多くの人びとの「声」。これらを聴き取り、記録として残していく作業は、研究上きわめて重要であるとともに、そこには、「声」を聴いた者としての責務も大きくあるものと考えます。
インドに赴いて、社会運動や仏教運動の活動に接して深く感じ入ることのひとつに、現地の人びとの熱量の強さというものがあります。真摯に、熱く、「声」をあげる人びとには、しかし、時に、純粋な宗教運動を夢想する側から、批判が投じられることも少なくありません。
現地の人びとへの、過度な、あるいは身勝手な自身のロマンの投影が厳に戒められるべきなのはいうまでもありませんが、同様に、「政治的で過激な運動」だからと断じて、一面的に切り捨ててしまう、ないしは看過するような見方も、改めるべきではないでしょうか。そこには、いまある社会制度や社会のあり方への、素朴でいて核心をつく異議申し立てがあり、よりよい社会を求める切実な強い思いがあると考えます。そのような、時に小さく、ともすれば埋もれてしまうような、深いところから発せられる「声」をいかに聴き、また残すことができるか(そしてそれは、必ずしも活動の前線ではないところに遍在しているとも考えられます)。地域研究に携わる者として、常に自省すべきことだといえるでしょう。
資料という側面からは、上述したような時々刻々推移する現地からの「語り」そのものもきわめて重要性を有するものですが、最後に、ここでは特に、冨士玄峰師からの寄贈を受けて、現在、当センターで保持している資料について紹介したいと思います。
冨士玄峰師は、臨済宗南禅寺派・明泉寺の前住職であり、「ナグプール同友会」の世話人でもあられます。インドのナーグプルを拠点に、精力的に仏教復興の活動を続けられている佐々井秀嶺師の活動を、三十数年の長きにわたり支援しておられる方です。当センターの研究メンバーである佐藤智水先生と冨士師とのご縁から、当センター主催の研究会でご講演いただき(2015年2月27日)、それを機に、佐々井師から冨士師が託されておられた、佐々井師の蔵書からさまざまな活動に関わる資料、両師の間での私信など、数々の貴重な資料をご寄贈いただきました。そのなかには、佐々井師が積極的に行っている仏教遺跡発掘作業の様子の写真などもあり、佐々井師の活動を仔細に分析するに、きわめて重要な資料と考えられます。のみならず、現代インドにおける仏教運動の活動や変遷を知る、貴重な資料であると考えます。
当センターが保持する資料は、すべて、オープンになっています。もしご関心を有する方やご研究の参照にと希望される方がおられましたら、ぜひ積極的にお問い合わせいただければと思います。言うまでもないことですが、資料は有効に使われることによって活き、また息を(そして新たな生を)吹き込まれるものであると考えます。当センターの資料に基づいた(あるいは参照された)論文がものされ、そのなかにおいて資料(「声」)がいきいきと浮かび上がっている・・・そうした優れた論考が出てくることを、願ってやみません。
バックナンバー
No. | 作者 | タイトル | 作成年 | |
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1 | 脇村孝平 | 史料へのアクセスから見たインド史研究の今昔 | 2017.07 | |
2 | 小川道大 | 東大拠点「植民地史資料」にみる「インド省記録文書」 | 2018.02 | |
3 | 宇根義己 | 広島大学拠点のウェブ公開:「デジタルアトラス」と「インド地理写真コレクション」 | 2018.06 |