【関連行事】「トラウマ経験と記憶の組織化をめぐる領域横断的研究―物語からモニュメントまで―」[京大人文研共同研究班]【Related Conference】

【日 時】2011年7月11日(月)14:00~

 

【場 所】京都大学人文科学研究所 新館(京大本部構内・北東部、旧工学部5号館) セミナー室331号(3階)
参考地図:http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kotu.html
(各報告の要旨は、下部に掲載いたします)
報告1:渡辺文「芸術家になるために―「集合芸術」をめざす人々のライフ・ストーリー」

報告2:田辺明生「生きのびて在ることの了解不能性―インド・パキスタン分離独立時の暴力の記憶と日常生活」

【要旨:渡辺文】
芸術がある種の人々をこれほどまでに苦悩させるとともに、惹きつけて止まないのはなぜなのか。近年人類学において注目を浴びているモノのエージェンシーという見方を用いるならば、この問いは「芸術品の周辺にこれほどまでに人が集まるのはなぜなのか」と換言されるかもしれない。私もこのような視座に多少の共感を覚える者の一人だが、本発表ではあえてヒューマン・アクターに注目し、苦悩や葛藤が芸術制作において果たす役割を考えてみたい。現在、フィジーを拠点としたオセアニア・センターで展開するレッド・ウェーヴ現代芸術とは、オセアニアに生きる人々の生に基づいたイメージを対象とし、オセアニアの人々によって、集合的な「オセアニア芸術」を創出しようという試みである。本発表ではセンターに集まる人々のライフ・ストーリーから、彼らがいかにして芸術なるものと出会い、制作行為を意味づけ、芸術家という道を歩いていくのか、あるいはいけなかったのかを読み解いていきたい。この際、アーティストたちが経験してきた苦悩がメンバー間の共同性を生み出す原動力となっており、その共同性がセンターの提唱する「集合芸術」を支えているという点に注目するとともに、集合芸術の作り手にとどまらない在り方を希求し、みずからを差異化しようとする彼らの葛藤に注目したい。

【要旨:田辺明生】
本発表では、トラウマをめぐるいくつかの問題について、インド・パキスタンの分離独立時の暴力とその記憶を主な題材として論じる。トラウマの本質は、死や暴力に直面したことであるよりも、その経験について了解不能なままに、それを生き延びてしまったことにある。そうしたトラウマ的経験は、人の生にとってどのような意味をもつのだろうか。精神分析およびそれに基づく文学・歴史学からのトラウマ経験へのアプローチにおいては、トラウマについて語ることの重要性がしばしば強調される。トラウマ経験を言語化することによって、トラウマ記憶を物語記憶へと変換し、了解不能な反復への固着から自己を解放すること、物語の流れのなかで自分の歴史を語れるようになることを重要視する。それにたいして、人類学におけるアプローチでは、トラウマ経験をむしろ関係性のなかで分かち合いながら、日常の生きられる世界をいかに再構築できるかが着目される。文学・歴史学においては言語と時間性が重視されるのに対して、人類学においては身体性と空間性が重視されるという言い方もできよう。本発表では、生き延びて在る私たちの生の潜在的可能性を十全に理解するにあたっては、ふたつのアプローチを表面的にのみ結合して、時空間における主体と世界の構築をみるだけでは足りず、生の起源にある暴力の捕捉不可能性をこそ直視し受け入れる必要があることを論じよう。このことは、現在の生政治において、トラウマを生む可能性のあるすべての経験をコントロールしようとするガバナンスの働きは、私たちの生を安定させるかもしれないが、生のありかたをシステムにゆだねて浅薄化してしまうものであることを意味する。「トラウマ」を、PTSDという医療化した言説に還元することなく、わたしたちの生における死と暴力の位置付けと意味をもういちど考え直すための参照点としたい。
【一般参加者歓迎】

 

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