【現代インド・南アジア次世代研究者合宿 受講生の感想】(五十音順)

現代インド・南アジア次世代研究者合宿

氏名:赤木綾香(鳥取県立高等学校)

この合宿では様々なバックグラウンドを持った研究者の方の多様な視点が提示され、新しい物の見方を知ることができました。すべての発表が理論に裏付けされており、インドの様々な現象を見る際に疑問に思っていたことが説明づけられ、とても刺激的で興味深いものでした。

特に政治的な面は今まで避けてきたところでしたが、その視点を通すと違った説明付けができるのだと、多面的なものの見方をすることの重要性を痛感しました。

今回のように3日間(実質は2日)南アジアについてずっとアカデミックな議論を体験することはあまりないので、すべてが面白く、合宿は「あっという間」で幸せなひと時だったと感じられました。表象だけを見て、漠然としていた事象が明確になる様はまさに目からうろこと感じられ、ますます知りたいという気持ちが強くなりました。

もっと質問したいことがたくさんありましたが、遠慮してしまったのが心残りです。 ここで得た知識やものの見方を高校生に還元するのは難しいかもしれませんが、私だけのものにするのではなく、何らかの形で広めていくのが、参加させていただいた私の義務かなと思っています。

私の今後のインドへのかかわり方はいまだ明確にはなりませんが、できる限り、情報をキャッチして私なりに考えをまとめ、形にできたらと思っています。

学生、研究者という立場ではないのにもかかわらず、今回この合宿に参加させていただけて、本当にありがたく思いました。若い人たちの研究をうらやましく、興味深く見ました。 実行委員会の方々の粋な計らいに感謝しております。また機会があればぜひ参加させていただきたいと思います(空席があればでいいです)。ありがとうございました。

氏名:池亀彩(オープン・ユニバーシティ)

氏名:石坂晋哉(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科/人間文化研究機構)

氏名:板倉和裕(広島大学大学院社会科学研究科)

次世代研究者合宿では、どのパネル、研究発表もとても興味深く刺激的なものであったので、大変有意義な時間を過ごすことができた。今回の合宿に参加して得られた何よりもの成果として、専門分野の異なる研究者および他大学の院生との交流や意見交換を通じてインド・南アジア地域への理解が深まったとともに、それへの興味・関心がさらに大きく広がった点を最初に挙げたい。

以下では、今回の合宿に参加して再確認させられたこと、および今後取り組まなければならないと深く考えさせられた課題について述べたい。まず、再確認させられたことは、地域研究における学際的な視点の重要性である。地域研究とは、研究対象とする地域を全体的・総合的に理解する、ということを目指す学問といえるが、それゆえに、地域研究に従事するものは、専門分野において研究成果を蓄積するだけでなく、ときには分野の異なる研究者との積極的な交流、意見交換をつうじて、個別具体的な事例をより大きな文脈と関連づけながら理解しようとする作業が重要になる。今回の合宿でいえば、特にパネル2「開発」は、政治面においては民主化という体制変動、経済面においてはグローバル化・市場経済の浸透が、地域社会における人々の生活、ひいては既存の社会構造にどのような影響をおよぼすか、その動態を明らかにしようとするもので大変興味深かった。

次に、深く考えさせられた課題というのは、個か集団かという二項対立をいかに乗り越えるか、というものである。例えば「市民社会」とは、それはおのずとセキュラーな個人をその構成員として予定しているが、インドの経験からは、市民社会の構成員を個人だけに特定するのは決して容易であるとはいえない。しかし、集団を政治的単位として承認することは、宗教などの属性に基づいて個人のアイデンティティを固定化することであり、それは、集団内部の多様性を捨象してしまうきらいがあるだけでなく、他者とのかかわりのなかで起こるアイデンティティの再生産を阻害する要因にもなりうる。個か集団かという二項対立を克服することが可能な理論的枠組みを考察することが、今後の大きな課題になるといえる。

最後に、個人としてはパネル1「市民社会」において研究発表の機会を頂いた。質疑応答で得られた質問およびコメントはどれも有用なものばかりであった。それらを踏まえ今後の研究および博士論文の執筆に取り組みたい。

氏名:岩田香織(東京大学文学部)

今回の合宿開催のおよそ一週間前、震災が起こりました。個人的にはそれほど被害を受けずに済んだのですが、それでも日常が突き破られるような経験、ものの見え方・価値観がまったく変化してしまうような経験をし、また現在もその変化のさなかにいるように感じています。「自分には何ができるだろうか」と問う中で、自分の存在意義についても揺らぎがおこり、一方で結局は「自分の持ち場でできることをやっていくしかない」という覚悟のようなものを、多くの人が抱き始めているように思います。混乱状態の中で、各自が社会との関係性においてアイデンティティを模索し、またアイデンティティを強化しようとしている、と言い換えられるかもしれません。

今回の合宿では、4つの大きなテーマ(「市民社会」「開発」「アイデンティティ」「ジェンダー」)に沿って準備された発表とそれらを基にした討論を通じ、偶然にもこのような未曾有の事態(人間存在への認識が揺らいでいく事態)の中で、単に南アジアの個別事例の研究報告が並べられるのではなく、そこから人間存在の根幹に関わる大きな問題に意識が繋がれて、議論が戦わせられようとしました。

合宿が始まる前、私は今回の合宿のこうした構成上のしかけに、お互いのディシプリンや扱う事例による差異を縮めさせ、何か南アジアや人間存在に共通の問題についての議論を深めさせる効果があるのではないかと期待していました。しかし実際には、各発表を大きなテーマに引きつけながら聞くと、全ての発表は他人事(他者)として客観視できるものではなくなり、一方で自分の立場と同化して考えられるものでないことも明らかであり、参加者間の立場の相違がより強く認識されました。私は結果的に、期待とは裏腹に、大きな議論についてはやや散漫な印象を得、一方で自分のディシプリンや事例と、他の参加者のそれらとの違いについては、はっきりと認識するに至りました。気がつけば常に全体テーマについて自分の立場からの回答を迫られ、しかし考えれば考えるほどよくわからないことばかりで困惑しました。

しかし、「よくわからない」と思うのは、半端にわかったつもりになっているよりは賢明な状態かもしれません。私は今回の合宿を終えて、答えを出すことを急がずに、まずは、とことん史料に書かれていることに目を開き耳を傾けてみたいという所感を持ちました。そのことに社会的に意味があるのか、まだ自信が無いですが、さしあたり自分の持ち場(歴史学)でできることを探してみたくなったのです。恐らくものの見方が揺らいでいる社会にこそ、しっかりと腰を据えて悩む(研究する、勉強する)人がいなくてはならない筈です。

最後になりましたが、今回「合宿」というスタイルで3日間の生活を共にすることによって、近いところに関心を持っていたり悩みを抱えていたりする参加者の皆様と研究の枠を越えて沢山お話が出来たことが、実は私にとって一番貴重な、嬉しい経験となりました。こうしたご縁こそ得難い財産であると考え、繋がりを大事にさせていただきたいと思います。皆様ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

氏名:上田知亮(京都光華女子大学)

氏名:宇根義己(広島大学現代インド研究センター/人間文化研究機構)

様々な学問領域の参加者が、現代インドという一つの土台で3日間にわたり議論を展開する場は新鮮であった。私自身は、人文地理学を学んできた参加者が自分一人だったため妙に気負ってしまい、自らの学問分野を意識しすぎるあまり、他分野との視点の違いを明確にしようという思いが自然と強くなっていた。単に私の勉強不足だと自認しているが、それほど他分野の研究は違いが大きく、新鮮であった。全体的な感想としては、「民主主義と社会変容」という全体テーマを掲げたが、「社会変容」に類する報告・議論が多かったせいか、「民主主義」についての議論は必ずしも十分であったとはいえなかったのではと感じた。来年度以降は、テーマを絞り込み、それについて多角的(学問横断的)な視点から議論を展開し研究を深めていくという方法を採っても良いのではないだろうか。少なくとも、一般的にいって自分の「殻」に閉じこもりがちな人文地理学からは、そのような方法が魅力的に映る。

合宿の開催にあたっては、半年以上前から拠点研究員の間で会議を重ねてきた。しかし、開催直前に東日本大震災が発生し、我々は合宿どころではないという状況に追い込まれた。研究員間で中止や延期、西・東日本の分割開催などを検討したが、参加できる者だけは集まって開催しようということとなった。一部の方は残念ながら参加できなかったが、30名弱が集まり、活発な議論が展開された。大小多くの不測の事態を対応されたホスト役の京都大学中心拠点研究員および事務員の皆様には、心からお礼申し上げます。

氏名:小野道子(UNICEFパキスタン事務所)

私は、実務者として南アジアに関わり、研究者以外の立場から出席した数少ない参加者の一人であったが、学際的に南アジア諸国を研究する方々との議論や交流を通して、普段、実務を通して関わっている南アジアとは別の視点から、南アジア世界を捉える機会を与えられたことに感謝したい。特に、実務者と研究者の壁があるとも言われている一方で、新しい世代の「若手研究者」たちとの議論は、そのような壁を感じさせることなく、非常にオープンな雰囲気で、学際的な「現代インド研究」の将来を感じさせるものであった。

今後、自分の研究を深めていきたいと考えている内容について発表する貴重な機会を与えられ、参加者の方々からの有意義なコメントをいただけたことは、大変勉強になった。また、他の方々の発表を聞きながら、議論に参加することで、自分の中で理論的構築が弱い部分も認識することができた。地域研究という学びの場を離れて久しいので、すっかり浦島太郎のような状態になっていたが、社会学、人類学、政治学を含めた、学際的南アジア研究の最新の議論の方向性などを知ることができたことは、とても有益であった。

全体討論の中でも、感想を述べさせていただいたが、南アジア地域研究の今後のますますの発展のためにも、一カ国の中で地域的な多様性を持ちつつも、国を超えて南アジアとしての共通性も持ち合わせるこの地域においては、国を超えた南アジア世界としての切り口が非常に重要になってくるのではないかと思われる。パキスタンやインド、その他南アジアの若手研究者や研究に関心を持つ実務者たちが集う、このような場を今後ともぜひ継続していただきたい。

氏名:川中薫(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

次世代研究者合宿では、「民主主義と社会変容」という共通テーマのもと、南アジア地域で重要な学術テーマとなっている市民社会、開発、アイデンティティ、ジェンダーについて14本の報告がなされ、報告ごとに活発な議論が展開した。

とくに、報告をこえて議論の焦点となったのは、セキュラリズム・民主主義などの市民社会の議論、多様なアイデンティティという多様がいったいどういう意図をもって使用されているのかという議論である。そこには、南アジア、とくにインドという地域で民主主義制度が継続してきた影響をきちんと捉えなおす必要があるのではないかという理解のもと、さらなる議論、たとえばサバルタンのようなこれまで個として弱い立場にあった人びとでも集団としてまとまることにより、留保制度のような上からの政策で一定の発言権を得ることができるという状況について、個から集団へのまとまりかた、また、まとまりをつくる時の問題について多くの議論がなされた。

いずれも大きくて重いテーマであって、簡単には答えを見出すことができないが、このように議論を積み重ねることが本当に大切な作業であるという先生方のご指摘のとおり、自分の研究にも重なる大きな問いへの意識をもつことになった貴重な研究合宿であった。同時に参加者として、自分も発表をして、皆さんからさまざまな意見をいただいてみたいという気持ちになった。議論の場として設けられた時間以外にも、食事の時間や相部屋になったみなさんと夜遅くまで意見交換をすることができ、とても充実した3日間であった。

また、東日本大震災に関係する大変な時勢のなか、毎日のように気になるのは、現場の正確な状況を知りたいということであった。とくに、原発のように一見して内容の深刻さが理解できない事態に際し、今こそ研究者は予想される正確な状況を知らせる必要があるように思った。対象はことなるが研究を志す者として、これからもできるだけ現場の声や状況を伝えられるよう、そして議論を重ねられるよう言葉にして発信してみたいと思った。無事に合宿を開催してくださいましたこと、参加させていただきましたこと、本当に感謝申し上げます。

氏名:北川将之(神戸女学院大学文学部)

合宿全体の雰囲気は、各報告者の専門分野が異なっていたため、学際的な議論の場となった。震災の影響で参加できなかった方もいたため、初日は当初の予定よりも遅い時間でのスタートとなったが、最初のパネルではA. ナンディのセキュラリズム論の検討が行われた。セキュラリズムという西洋起源の概念をインドの文脈でどのようにとらえるべきか、という問いかけに数多くの論争が起こっており、それらを端的に整理する内容の報告が最初にあったことで、パネル全体のテーマである「市民社会」概念を考えるヒントが得られた。

翌日の午前は「開発」という共通テーマで、インドにおける工業団地の立地条件や、ネパールの肉売りカーストの生活実践に関する考察が報告された。分析対象も方法論も異なる報告であったにもかかわらず、市場経済の浸透に伴う社会変容の様相が、それぞれの専門領域の視点から簡潔にまとめられており、専門外の者であっても議論に参加しやすいパネルとなった。午後のパネルは「アイデンティティ」というテーマの下で、まずアイデンティティの概念を多角的に整理した報告があった。最初に概念整理が行われたことで、続く報告を理解しやすくなった。ナーグプール市の仏教徒の日常的実践のなかにみられる半仏教徒・半ヒンドゥー教徒の改宗の意味づけ行為に関する考察、カラチ市郊外のバングラデシュ移民の聞き取り調査結果、チベット難民の芸能集団の若者の語りについての考察、パキスタンの文学雑誌にみられるムスリム・アイデンティティの考察など、南アジアには多様なコミュニティによるアイデンティティの表象がみられるが、それらを研究対象にした報告を聞くにつれて、アイデンティティという用語が多義的な概念であることを再認識した。

最終日の午前は「ジェンダー」をテーマとして、ヒジュラに関する報告とケーララのダウリー問題に関する報告があった。男性と女性、そして第三の性という話を聞いて、ジェンダー研究の重層的な側面を学ぶことができた。また、結婚持参金の事例分析では、ダウリーが女性だけでなくその家族の男性も苦しめる側面があるなど、具体的な社会的慣習ひとつをとっても、ジェンダー研究の視点の複雑さを知ることができた。

合宿全体のテーマは「民主主義と社会変容」であったが、個別のパネルのテーマ(市民社会、開発、アイデンティティ、ジェンダー)をみてもわかるように、多くの報告と議論が社会変容に主眼を置いていた。おそらくこの合宿の目的は、南アジアで起こっている社会変容を人類学などの視点から読み解き、さらに民主主義との関連を探ることにあったのだと思われる。前半の部分に関しては多くの議論が行われたが、後半の民主主義との関連については議論が少なかったように感じた。だが、最後の総合討論では、その点を補うべく民主主義との関連について議題設定が行われるなど、3日間の合宿全体を通して主催者の方々のきめ細かい配慮のおかげで、大変有意義な研究合宿となった。

氏名:國弘暁子(群馬県立女子大学文学部)

今回の合宿では、インド共和国内を調査対象地域とした様々な研究発表に加え、隣国のネパールやパキスタンでの調査報告を拝聴し、自分の知見を広げることができとても勉強になった。その上、政治学や地理学、歴史学、人類学など、現地調査のスタイルやアプローチ手法が異なる研究者たちとかかわり合うこともでき、非常に貴重な機会であった。この合宿を主催した母体は「現代インド地域研究」という名称であるが、田辺明生先生も主張されていたように、現代インドという枠組みに固執するよりも南アジア全体の動態を見渡すことが重要であり、さらに、データ分析においては通文化的な比較の視点がどの研究領域においても不可欠であることも発表や討論の際に確認できた。

研究発表のテーマは、市民社会、開発、アイデンティティ、ジェンダーと大きく四つに分けられていたが、各発表の内容は、総合討論を担当された池亀彩さんも指摘されたように、個と集団をキーワードに分節可能なものであったと思う。個と個の関わり方や、集団のアイデンティティ形成のあり方、さらには、排除し合う集団間関係の形成など、どの関係性に焦点を当てるかは研究分野によって傾向が分かれるようにも思えた。総合討論の場では、制度という枠組みを重視する政治学のスタンスと、そのような枠組みから零れ落ちた細部の方に焦点を当てる人類学的スタンスが相反するかのような発言が繰り返されたが、それら研究のスタンスを横断するような別の視点が今後生まれることを私個人は期待している。おそらく横断する視点を見出すには、研究する対象や地域等を同じくするなど、共通の土台作りが条件となるだろうが、それに加えて、互いの分析ツールを取り入れながら、上空から細部を見渡す姿勢ではなく、ローカルな文脈に沿ったデータの再読み込みが求められると考える。各発表者に与えられた時間は三十分と、十分な議論を行うための材料提供をするには短すぎたが、今後の可能性を探る上では貴重な機会であったと思う。

氏名:小西公大(日本学術振興会特別研究員PD/東京大学東洋文化研究所)

まずは、今回飛び入り参加なのにもかかわらず迅速に対応していただいた次世代研究者合宿実行委員会の皆さま、およびINDAS事務局の瀬戸様に心より感謝申し上げます。

このような合宿に参加するたびに、日本における南アジア研究の層の厚さに驚きます。ともすれば研究室の中に閉じこもってしまったり、専門馬鹿になってしまいがちな研究生活ですが、これだけの多領域(政治学、人類学、経済学、歴史学、文献学など)にまたがる有志が集まり、自らのポジショニングに敏感になりながら刺激し合える機会があるというのは、本当に幸せなことに思います。殊に南アジア研究の文脈では、「多様性」というタームが頻繁に語られる土壌があります。これは、南アジアもしくはインド世界といったものが他の世界に比べて多様だ、と主張されている訳ではなく、その地域地域の重層的な歴史の中で、政治、社会、文化、経済など複数の領域にまたがる横断的で多元的な理解のあり方が必要とされていることが主張されているにすぎません。「巨象」として脚光を浴びるインドは、以前にもまして一面的な表象に陥りがちな昨今、諸学問領域がより緊密な関係をとり結びながら、具体的な南アジアの様相を提示し続けて行くことがこれまで以上に重要性を帯びているように感じます。その意味で、今回のような試みは必要不可欠であるし、今後も継続して行われていくことを切に願うものです。

また、今回の合宿では、各々の学問領域・フィールドにおける研究成果報告という形に留まらず、南アジア社会、ひいては世界を捉えるための大きな知的枠組が意識的に提示され、議論の俎上に乗せられたことが、とても意義のあることだったと思います。「セキュラリズム」、「市民社会」、「アイデンティティ」、「環境」など、これからの(これまでの)世界認識において欠くことのできない(かった)重要なテーマを、実際に南アジアの各地におけるミクロな文脈に沿って帰納的に勘考することができたのは、非常に有意義な時間でした。

関係者の皆さまおよび参加者の皆さま、3日間(精神的にも肉体的にも)ハードでしたが、本当にお疲れさまでした。またお会いできることを楽しみにしております。

氏名:小林磨理恵(東京外国語大学大学院 総合国際学研究科)

未曾有の大震災に見舞われ、あらゆる場面が「壊滅的」と形容されるまさに異常事態が日本社会に発生しているさなかの研究合宿であった。幾万もの命が危機にさらされる中で、研究活動がどれだけの力を持てるのか、どのような意味を持ちうるのかということを、多くの研究者は感じ、考えたのではないだろうか。開催に漕ぎ着けるまでには実行委員会の尽力があったことはもとより、開催そのものについて賛否が分かれただろうことは想像に難くない。報告の準備を進めていながらも参加できなかった方々はさぞ無念だっただろう。しかし、私自身は、このような状況下で南アジア研究のこれからを担っていく研究者が集い、議論する場を持つということに積極的な意味を見出したい。それは、多く人々の日常が奪われ、誰しも無力感に苛まれるような状況の中でこそ、自分の研究の真価を試し、研究の意義を問わねばならないと考えるからである。参加を決定した以上、参加者にはそのような自覚を持って臨む責任があったように思う。

今回の研究合宿は、「民主主義と社会変容」を共通題目に掲げ、「市民社会」、「開発」、「アイデンティティ」、「ジェンダー」という4つのパネルごとに研究報告をするという形式をとった。図らずもそれぞれの報告に共通していた問いは、「個と集団を規定するものは何か、また、誰か」ということだった。民主主義の進展と社会変容の中で生じた「多元的」なアイデンティティが作用して、既存の集団コミュニティを単一ないし同一、均質なものと捉えることが難しくなっている。また、ある一定の集団の中に多様な個(あるいは、自己)が存在するばかりか、それぞれの個は複数のアイデンティティが交錯して成立している。さらに、個のアイデンティティは他者との関係性/つながりによっても生成・維持され、変容を見るという点で流動的な存在である。つまり、個は属する集団によって規定される一方で、属する集団が複数であるがゆえ、また、集団の枠組みそのものが流動的であるがゆえに常に一定のアイデンティティを保持することはない。このような事象は、「~でもあり、~でもある/~でもなく、~でもない」(國弘報告)や「どっちつかずの存在」(山本報告)といった言葉で表現された。

一定の枠組みで個あるいは集団のアイデンティティを規定することの不可能性には共通の見解が得られた一方で、ある集団の枠組みを想定し、その中でこそ生成される個を追究する必要性も提起された。その際、誰がその枠組みを設定するのかという問題が残される。石坂報告では、「貧しい人々は環境保全を求める」という通念に対して疑義が唱えられているとの指摘、志賀報告では「ダリト」内部にもサブ・カーストがあり、ダリトを「ダリト」とすることが集団内にある差異を排除する働きをなすとの指摘があった。こういった「貧しい人々」や「ダリト」を定義する主体は、彼ら自身ではなく、研究者を含めた外部者であることも多いが、彼ら自身が戦略的に「貧しい人々」や「ダリト」として立ち現れる場面も存在する。したがって、個や集団を想定し、論じる際には、それらを名乗る主体が誰なのかを特定することが重要になろう。

最後に、分析概念としての「ジェンダー」のあり方について言及したい。ジェンダーは、社会や集団における「男性」と「女性」の関係性や差異性を抽出したり、「男性」と「女性」それぞれに包摂、あるいは排除される存在を明らかにしたりする上で有効な概念だと認識している。したがって、ジェンダーは本来あらゆる領域に用いられるべき概念であり、それを1つのパネルにカテゴライズすることに若干の違和感を覚えた。また、実際、他のパネルの中にジェンダーの視点からの考察は少なかった。これは、ジェンダーをあえて提起しなければジェンダーが議論されにくい研究の動向を反映しているように感じた。「ジェンダー」が、「女性問題」に代表される「ジェンダー問題」を論じる際のツールに限定されずに、広く、様々な研究の中で分析概念として用いられることを願い、私自身に残された課題ともしたい。

氏名:志賀美和子(龍谷大学現代インド研究センター/人間文化研究機構)

【運営について――震災の中での実施】 2010年度次世代研究者合宿は、現代インド地域研究推進プロジェクト初年度の、前例がない中での実施であり、企画・運営全てが手探りの状態であった。それだけに、予定人数を大幅に上回る参加者を迎え、盛況のうちに無事合宿を終えることができたことに安堵している。運営業務を一手に引き受けてくれた京都大学中心拠点研究員およびスタッフの方々にこの場をかりて改めて御礼申し上げたい。 合宿日程が未曾有の震災が起きた一週間後であったために、関係者の安否・出欠確認に追われ、また関東圏での停電、物資不足、交通網の混乱などの影響を考慮し、一時は中止、延期、東西分割開催なども検討された。最終的には当初の予定通りの日程で実施することを決定したが、参加を断念せざるを得なかった参加予定者・拠点研究員の方々のことを想うと心苦しい決断でもあった。これらの方々には是非、次回合宿へのご参加ご報告をお願いしたいと思う。

【企画について】 本合宿は、「民主主義と社会変容」という統一テーマのもとに、「市民社会」、「ジェンダー」、「開発」、「アイデンティティ」という4つのセッションを設け、各セッションを企画担当した研究員および各数名の参加者による発表(各報告30分、質疑応答30分)、最終日に全体討論というスケジュールで実施された。各報告は、現地調査や文献分析にもとづく手堅い水準の高いものであった。質疑応答も活発に行われ、様々な論点が提示された点において、非常に意義深いものとなった。

ただ、セッションを企画した拠点研究員の報告が問題を提起する総論的な内容であったのに対し、各報告の議論は個別具体的であり、双方共に普遍的問題と個別的論点を関連付け位置づけることについては必ずしも成功しなかったように感じられた。この点については、私自身が準備不足で問題点・論点を整理できず、議論を十分に喚起することができなかったことを猛省している。その上で、これまでの自分自身の研究姿勢への自戒も込めて、次世代研究者には、個別具体的な実証研究をより大きな普遍的テーマの中に関連付け、自分の研究がどのような位置を占めいかなる意義を有しているのかを常に意識し、かつ説明していく姿勢を示して欲しいと願っている。そのような研究姿勢が共有されたときに初めて、専門分野と関心が異なる研究者が集まっても活発な議論を戦わせることが出来るのではないだろうか。

その一方で、議論の活性化には、研究者同士の情報の共有、ネットワークの形成、経験の蓄積もまた不可欠である。本合宿はこれらの必要条件を満たす格好の機会を提供することができたと考える。この合宿が途切れることなく継続され、また、これを足がかりに次世代研究者のネットワークと議論の場が拡大していくことを願っている。

氏名:志田泰盛(京都大学次世代研究者育成センター)

まずは、今回の合宿を準備してくださった方々に厚く感謝申し上げます。直前に起こった東日本大震災の影響で、各種の研究会が延期・中止に追い込まれる中、開催事務局の方々が合宿参加予定者全員の安否を直接確認しながら、ぎりぎりの対応をしてくださったおかげで、合宿が無事に成功したのだと思います。震災発生当初私はオーストリアにおりましたが、海外まで連絡をいただき、また、私の実家の現状をお伝えしたところ、ぎりぎりの出欠変更にも柔軟に対応いただける旨の連絡をいただき、大変心強く感じました。

合宿自体の感想としては、私自身の専門が古典文献学ということもあり、普段交流のない分野の方々の議論を拝聴し、新鮮な刺激を受けることができました。また、分野融合の進んだ地域研究はそれ自体単一の方法論を持つ研究分野というよりは、他分野交流の場として機能する側面が強く、政治学・文化人類学を中心に多くの専門分野に立脚する研究者が、積極的に他分野に開いた成果公開と還元をしている、という点を強く感じました。特に最後の総合討論においては、政治学と文化人類学の方法論の原理的対立も第三者にもわかるような形で浮き彫りにしていただき、たとえ同じ問題を扱う場合でも、そのアプローチに多様性があることを改めて認識することができました。

現在、私が所属する京都大学次世代研究者育成センターは、自然科学、社会科学、人文科学といった全ての研究分野に開いており、設立の目的の一つとして「多分野/異分野の融合」が挙げられています。合宿直前の3月17日に行われた当センターの年次報告会の中で、他分野融合を模索するワークショップも開き、その可能性と難しさについて議論を交わしていたこともあり、本合宿での議論の応酬も非常に興味深く拝聴しました。

上述のワークショップで私自身も簡単な発表をしましたが、例えば進化生物学と古典文献学といった一見全く接点のない分野間でも、意外なところ(古典写本や遺伝情報の系統分析)に共通点を抱えているということも見えてきました。また、インド古典文献学は200年以上かけて方法論を確立してきており、また、約70年前のコンピュータの誕生以来、積極的に計算機の力も援用しています。しかし、進化生物学と比較した時に、人の力(主観分析)と計算機の力(客観分析)の棲み分けの構造も大きく異なっていました。このように類似した問題を抱えながらも、アプローチの方法が異なるケースが、異分野交流が有効に生きる顕著な場面だと感じています。

もちろん、他分野の方法論の導入というのは口で言うほど簡単ではありませんが、稀に大きな革新の可能性を秘めています。先人が革新し続けてきた従来の方法論に立脚することは当然ですが、既存の「隣接分野」という枠に縛られることのない分野交流により、控えめにいっても、自分の分野が気づいていなかった有効な方法論にアクセスできる確率はかなり上がるのではないか、と本合宿を通じて改めて感じました。

氏名:須永恵美子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

2011年3月19-21日、NIHUプログラム平成22年度現代インド・南アジア次世代研究者合宿に参加し、発表をした。発表者にも運営側の方にも若手研究者が多く、大学院生でも積極的に発言できる会となった。これは、大学のゼミよりも幅広くインターディシプリンの立場からの批判・評価を得られるのと同時に、学会よりものびのびとした雰囲気の中で学術的議論ができる場が提供された。

報告者が参加したアイデンティティのセッションでは、チベット、バングラデシュ、パキスタン、インドとといった異なる地域の具体的な事例研究から、共通する課題や問題点が浮上し、理論的な議論へのフィードバックへとつながった。

最終日の全体討論の場では、民主主義、集団と個人、代表者を選ぶ方法、宗教別の法体系などが取り上げられた。特に、参加者のディシプリンという背景のなかでも、政治学から事象を見るか、人類学的考察をするかといった視野の違いが明らかになり、議論に厚みが増した。さらに、バングラデシュやパキスタンといった周辺諸国との対比から、権威主義を知らないインドといった話題にも及び、インド対周辺、南アジアの中のインドといった構造も垣間見られた。他にも、市民社会やジェンダーでも、事例と理論の側面から議論がなされた。それでも、移動やメディアといった、時間的制約からセッションや討論では議論しつくせなかったテーマは多く、また今後の機会への課題が残った。

3日間、有意義な刺激をうけることができた。何よりも、合宿という朝から晩まで寝食を共に出来る環境下で様々議論を交わすことができたほか、情報の共有、他大学や他組織の研究者とのネットワーク形成といった、人的インフラの構築ができたことが収穫であった。今後も定期的に議論の場を共有できることを期待する。

氏名:田辺明生(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

氏名:中川加奈子(関西学院大学大学院社会学研究科)

本研究者合宿では、民主主義と社会変容を大きなテーマとして、市民社会、開発、アイデンティティ、ジェンダーのパネルに分かれてのディスカッションが3日間にわたって交わされた。大震災という非常事態の中、ぎりぎりまで関係者への連絡・調整に尽力された企画・実行担当の皆様に、心から感謝申し上げたい。

15名の登壇者によるそれぞれの報告は、政治学、文化人類学、社会学、歴史学等、よって立つ学問的背景は個別にあるものの、それぞれの問いには、既存の学問領域を横断した考察を要するようなものが多々見られた。今回、全体に通底していた論点として、民主化や社会変容を背景とした、人と人とのつながり方の変化とそのモラルづくりが問われていたように感じた。市民社会のパネルでは、民族・宗教対立と民主化が一つの焦点になっていた。宗教、性、カーストなどの枠を超えた理念での人のつながりを形成しているNGO等の組織がある一方で、宗教・民族間の溝がますます深まっているケースも見られている。写真とともに報告された宗教・民族間の対立・衝突の現実は大変衝撃的であり、研究者はこの現実から何を語るのか、何を伝えることができるのか、今、改めて問われていると感じた。アイデンティティの部会では、個人、集団、ナショナルなど、様々な次元での問いが投げかけられていたが、制度化の過程で、「国」を持たない難民やマイノリティなど既存の枠から取りこぼされてしまいがちだった人々のアイデンティティに焦点を当てた報告が多かったのが印象的であった。工業化・開発、ジェンダーのパネルでの報告では、資本主義が社会に浸透していくなかでの価値観の組み替えに関する示唆を得ることができた。これらの報告を聞きながら、民主主義と社会変容に伴う大きな制度的変容の潮流と、個別の草の根レベルの事例報告との連関について考えていた。私はネパールというインドから見ると「隣の小国」で調査をしており、経済政治的な「隣の巨人」であるインドに対するネパールの人々の憧れと反発が入り混じった対抗意識を感じながらフィールドワークをしていた。総合討論の中で、インドの多様性についての議論があったが、ともすれば州の違い、国の違いに埋没してしまいがちな議論を、南アジア、グローバル社会等で通底して起きている大きな潮流の中に置きながら考える目を持つということの必要性を強く感じた。

セミナーの冒頭、今回の研究会は、ゼミ発表と学会発表の間として位置付けてほしい、つまり、緊張感をもって報告してほしいが、必ずしも完成させた議論を披露する場ではなく意見交換を介して発展させていく場としてほしいという趣旨説明があった。また、最後に総括のコメントとして、若手の登壇者たちは現場で様々な問いに気付いているが、そのことを理論として語るための「言葉が探せていない」部分もあり、今後も議論を深めて現場での問いに答えていこうという呼びかけがあった。このような趣旨のセミナーの開催、総括での呼びかけは、大変心強いものである。今回のつながりを生かして、虫の目と鳥の目の両方をもって、議論を深めていきたいと考えている。

氏名:中西宏晃(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

今回の次世代研究者合宿でも、多様な宗教および人種を有するインドの特徴である、「多元性」や「多様性」について深く考えさせられる機会となった。それらは時にポジティブに語られることがあるが、他方でそれがインド社会にネガティブな影響を与え続けていることも無視できない事実である。とりわけ、宗教間もしくは宗派間対立(いわゆるコミュナリズム)などが深刻であるインドにおいて、セキュラリズムやデモクラシーといった規範を維持・発展させることは容易ではないようである。

実際に、インドの現状を見た場合には、必ずしもセキュラリズムやデモクラシーにとって良い影響をもたらさないと推察されるような政治的・社会的なダイナミクスが、依然として存在していることが懸念される。例えば、宗教のネガティブな側面として立ち表われている、宗教(宗派)もしくは宗教内の階層に基づく差別といった人権侵害や、極度な排外主義による暴動の問題、そして改宗の問題などが挙げられよう。これらの問題を解決するために、現場では、多数派の宗教勢力による差別に対抗するために、自己の宗教的アイデンティティを他宗教のものに乗り換えることが模索され、さらに、公の空間を利用して、自己の宗教的アイデンティティの優位性を主張して、宗教差別と闘おうとする運動が指向される傾向があるように思われる。しかしながら、このような動きは、一歩間違えば、他者との関係における自己の優位性の主張の過激化、それによる互いの緊張の極度な高まり、そして最終的には、他者からの自立の過度な追求といった、分裂的な流れを引き起こす可能性があるのではないだろうか。このような流れは、単に宗教の問題に留まらず、新たな州の創設や分離選挙を追求する政治運動の底流にも存在しているように思われる。

以上より、今後インドにとって重要なのは、経済成長による貧困解決、そして自由・平等を確保するための国家建設の達成ではないだろうか。とりわけ、近代国家建設に不可欠なセキュラリズムとデモクラシーの拡充により、自己のアイデンティティーの保護のために、宗教団体などの個別の集団に頼らなくても、現実的な問題の解消が国家の仕組みで可能となるような制度の構築やそれを適切に実行可能とするような組織を整えることが急務といえよう。そもそも、なぜインドではこのような問題が根強く存在するのかについて考えた場合、イギリス植民地という形で「インド」という形は存在していたが、統一国家という実態はなく、それゆえにインドは、植民地独立のためには、国際連合への加盟が許容される国家主体へと進化する必要があったと考えられる。そのため、南アジア地域において統一国家が存在したという歴史を持たないインドにおいて、国家建設は非常に人為的な作業となり、かつそれは土着の文化や社会秩序の維持とは多少異なる動きも模索しなければならないという側面があるために、それに対する人々の不満が出ていることは想像に難くない。また逆に、インド独自の国家建設に必要不可欠とされた、セキュラリズムやデモクラシーなどが現実として上手く機能していないことへの人々の不満もあろう。

これらの不満を解消するためには、「西洋近代」から派生してきた、国家建設の意味や意義について再度真摯に向き合う必要があるように思われる。なぜならば、インド憲法自身も、統一国家の建設に必要なものとして、自由で平等な国民(市民)の創造や、個々人の権利性を平等に保証すること、そして科学的思考に基づいた、自由で平等な国家運営などを求めているからである。そのため、今回の合宿の総合討論で提起された、現代インドの政治問題を、制度やその実施から生じた問題であるという視点から捉え直していくという視点は非常に重要であろう。このことが、今日の国民会議派の復権や地方政治の活性化などの意味を考える上で重要な鍵となるように思われる。

氏名:中野歩美(熊本大学大学院社会文化研究科)

今回の合宿では、現代インド・南アジアに対して〈市民社会〉〈開発〉〈アイデンティティ〉〈ジェンダー〉の4つのパネルが設けられ、幅広い学問分野からの発表が行われた。フロアからもさまざまな質問や意見が投げられ、積極的な質疑応答・討論が行われた。

各発表を通して最も有意義だと感じたのは、普段自分が接する機会の少ない他分野からの観点に触れることができたという点だ。ひとつの事例を通しても、学問分野によって関心をもつ箇所やアプローチの仕方が違っていたり、タームに対する意識が違っていたりと、これまでとは異なる視座のありかたに気づかされることが何度もあった。 特に今回は、合宿全体のテーマ「民主主義と社会変容」にもあるように、政治学的な視座に触れる場面が多く、普段人類学の方法論にばかり接している私には難しく感じる議論も多かったが、同時にとても新鮮に感じられたり、新しく知識を得ることができたりすることもできたと思う。

合宿の3日間を通して、一つの学問分野にのみに特化して、その他の分野で取り上げられる問題意識を軽視してしまうのではなく、常に幅広い関心をもって自身の研究分野との関連させていく必要があるのだということを改めて認識することができた。そして、このような学問分野を超えた活発な意見の交換を今後も行っていくことが、現代のインド・南アジア社会のより多面的な理解につながっていくのだということを強く感じた。今後も、このような機会には積極的に参加し、南アジア研究に対する知識や視座を広げていきたい。

最後に、今回の合宿直前に大地震が発生し、その混乱収まらぬ中次世代研究者合宿の開催のためにご尽力くださった実行委員会の皆様方に、最大限の感謝を示して感想としたい。

氏名:中溝和弥(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科/人間文化研究機構)

氏名:根本達(筑波大学大学院人文社会学研究科)

氏名:宮坂綾(早稲田大学大学院政治学研究科)

地域研究でもインドを研究対象にしているわけでもない私としては、参加前は、どのような合宿になるのだろうか、と検討がつかなかった。最初のセッションから、セキュラリズムについての発表であり、インドのセキュラリズムが具体的に何を指しているのか、わからない私には、この3日間乗り切れるだろうか、と不安になった。出鼻はくじかれた感があるものの、結論からいうと、とても勉強になった合宿であった。

まず、アプローチの違いがとても新鮮であった。私の専門は政治学であり、マクロ的な視点、制度から政治や社会がどう動くのか、というトップ-ダウンの視点で考えがちである。一方、今回の合宿では、地域研究者や文化人類学者、社会学を専門としている方が多く、それぞれの専門分野を持ち、綿密なフィールドリサーチを行い、個別の事象を大きな理論へとつなげていく、というアップ-ダウンの視点で研究テーマを考えていることを知ることがとても新鮮だった。時に、政治学と地域研究はお互いを批判することがあると思うが、政治学と地域研究は補完しあえる関係にある、言い換えれば、2つの視点を織り交ぜれば、より鮮明にその社会を描き出し、さらに深遠な研究につながるのではないかと思う。

次に、特にインド研究者のもっていたインドの民主主義体制に関する問題意識に触れたことがとても新鮮だった。比較政治学の世界では、民主主義の質はどうであれ、インドは多民族国家でありながら民主主義体制が機能している成功例として扱われる傾向にある。私もそのように見ていたが、参加者の討論を聞いて、必ずしもそのように捉えていないことが興味深かった。それでは理想的な民主主義とは何なのか?最後の総合討論で、このテーマが主要な議題となったが、難しい。何を持って、「理想的な」民主主義というのか?表現の自由、政治参加の自由が保証されている状態か?コミュニティ間もしくは内の暴力がない状態か?何が「理想的な」民主主義を実現するのか?制度設計なのか?それとも市民社会の育成なのか?そもそも私がこの世界に飛び込んだのが「果たして民主主義は(暴力)紛争をかかえている国にとって、本当に良い統治形態なのだろうか?」という大きな疑問からであり、上記に挙げたような疑問は、簡単に見つかるものではないが、一生考えて生きたいテーマである。

最後に、色々な方と話をすることができ、とても刺激を受けた。普段の学校生活では比較的学年の近い人たちとの関わりがほとんどだが、すでに博士号を取得している方、何らかの教職についている方とお話することができ、これからの長い研究者生活をどのように乗り切ればいいのか、という長期的な視点にも触れることができた。また、発表や討論を聞いて、現地の言語を読みこなせる方、また、自分の考えをいろいろな文献を引用しながら述べることができる方などに触れて、私ももっともっと知識を蓄積して、自分の視点を洗練させなくてはいけない、と感じた。このような貴重な機会を与えてくださった現代インド・南アジア次世代研究者合宿実行委員会の関係者の方々に改めて御礼を申し上げたい。

山本達也(京都大学大学院文学研究科)

私にとって今回のように若手研究者が集まって議論する機会はこれまでの研究者人生においてあまりなかったので、どの程度議論ができるのか不安ではあった。だが、ふたを開けてみれば白熱した議論が展開され、とても有意義な機会であった。特に、普段自分が触れ合う機会のない分野の方々と意見交換できたことは大変いい経験であったと思う。今後も、このようなかたちで研究者が集まり、さまざまな事柄について議論を深めていく機会をもっていきたいと思う。

今回の合宿の議論での不満(不足)をひとつだけあげるとすれば、パネルの題目でもあった「ジェンダー」に関する議論があまり深められなかったことであろう。発表者が2名しかおられなかったこともあるため、どうしてもトピックスが不足していたことは否めないが、民主主義や社会変容という事柄について議論する際にはジェンダーやセクシュアリティの問題を看過することはもはやできないであろう。個別の報告においても、全体の討論においても、たとえば報告者が扱った難民や、その他の方々が報告された不可触民やトライブなど、いわゆるカテゴリーに関わる問題は議論の対象となったが、それらの内部におけるジェンダーに関する議論は十分深められたとは言い難い。今回十分に議論できなかった点を含め、今後、さらなる議論をこうした合宿において深めていければ、と考えている。

氏名:楊小平(広島大学大学院国際協力研究科)

今回の合宿は、私にとって初めての研究合宿の経験でした。感想を一言でまとめてみれば、「知の学び、そして交流による刺激」ということになるでしょう。まず、「知の学び」とは、市民社会論やアイデンティティなどについての基礎知識の整理から、それぞれの現場での実態の在り方の討論まで、多様な知識を学んで、改めて思考を見直す契機となりました。次の「交流による刺激」という点については、先輩の研究者と同世代の研究者と一緒に3日間の合宿の中で、専門的な研究内容の交流はもちろんたくさんありましたし、研究現場での調査のやり方や研究者としての生活状況や理想などまでも交流が広がっていました。私にとっては、今回の合宿は、理論や方法論を含む研究そのものを深めていきながら、これから研究者としての生きていくうえでの素質や姿勢の形成にも有意義な経験となりました。

具体的には、今回の合宿のテーマは「民主主義と社会変容」でありますが、「市民社会」「開発」「アイデンティティ」「ジェンダー」などの多様な主題や、様々なフィールド、多分野的な立脚視点などが含まれているため、複数のアプローチから南アジアの地域理解について議論が深化したと感じます。セキュラリズム論や市民社会論のような社会モデルについての議論は、時間が限られていたため、理論そのものの定義や形成の流れに集中していましたが、これらの理論が提示した社会への分析視点が南アジアの地域の研究にとっていかに有効であるかが見えていました。そして、インドやパキスタン、チベット難民などを含む多様な対象地域に住む人々が経験している宗教・エスニック・ネーションなどのアイデンティティに関して、そのアイデンティティの意味を解説するだけではなく、その「同一性」と「均一性」が示す問題点にもっとも留意していくべきでしょう。そして、グローバルな開発変容を背景にして、地域の開発の展開と地域の構造の変容が示す住民の生活様式の変容と考え方の変化は、経済と文化、環境、政治を総合的に考慮する必要性を訴えていると考えるべきです。

以上、今回合宿での有意義な議論や成果をあげてきましたが、私の頭の中では、いくつの課題が残されており、これから考えていきたいと思っています。一つ目は、地域研究において宗教を本質主義的に扱わないように留意しなければならないことです。二つ目は、多様な関係性及び関係の流動性に留意するべきことです。例えば、異なる宗教の間の対立や応答は、宗教観の本質的な差異性から生まれたものではなく、宗教を纏わる実践の変容がその根本であることと考えるべきだと思います。さらに三つ目は、インドや南アジア地域研究の成果の位置づけ、または地域の論理と手法を活かしていく可能性を考える必要があることである。つまり、西洋の概念を用いて解析した南アジアの社会構造と人々の実践の在り方を明らかにするだけでなく、これからの南アジアの変容していく展望を提示するべきではないでしょうか。

最後に、私は、これまで東アジア、特に日本と中国をフィールドとして調査してきましたが、今回の合宿を通して、研究の視野が広がったと思います。これらの収穫を活かしていくことを、心の中で決心しながら、今回の合宿を実行なさる先生方や同志の皆さまに感謝の意を申し上げ、筆をおきたいと思います。

»「現代インド・南アジア次世代研究者合宿」2010

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