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【KINDAS】 第2回スリランカ研究会

2016年7月20日 @ 1:30 PM - 6:00 PM

【日時】2016年7月20日(水)13:30〜18:00

【場所】京都大学本部構内 総合研究2号館4階第一講義室(AA401)

※開催場所が「大会議室」から「第一講義室」に変更となりました!ご注意ください。

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/yoshida/map6r_y/

 

 

【プログラム】

13:30 開会・自己紹介

13:35-14:45 川島耕司(国士舘大学)
「スリランカのペンテコスタリズムと1977年の開放経済政策」
(発表時間40分、質疑応答30分)

14:45-15:00 休憩

15:00−16:10 藤田幸一(京都大学)
「南アジアの中のスリランカ—南アジア型農業構造とその変化をめぐって」
(発表時間40分、質疑応答30分)

16:10−16:25 休憩

16:25−17:35 外川昌彦(東京外国語大学)
「ダルマパーラのブッダガヤ復興運動とシンハラ・ナショナリズム」
(発表時間40分、質疑応答30分)

17:35−18:00 ビジネス・ミーティング(今後の進め方について)

コメンテーター:中村尚司(龍谷大学) 、嵩満也(龍谷大学)、他
司会:中村沙絵(京都大学)

 

【要旨】

<発表者>川島耕司
<題目>スリランカのペンテコスタリズムと1977年の開放経済政策
<要旨>スリランカのペンテコステ運動は世界の他地域とほぼ同時に20世紀初頭に始まった。長い間非常に小さな勢力にとどまっていたが、1977年の開放経済政策によってスリランカがグローバル経済に密接に結びつけられる中で、急速に信者数を拡大した。特に1980年代以降、多くの人々は、経済的困難、農村共同体や家族の混乱を経験し、過度の飲酒、DV、子どもへの虐待、ハラスメントといった問題が蔓延し、また自殺率は急速に高まった。これらの困難に従来の宗教(仏教、ヒンドゥー教、主流のキリスト教など)は必ずしも十分に対応できなかった。こうした状況下で、聖霊による癒やしや奇跡を重視し、あらゆる地域や階層において布教活動を行ったペンテコステ派のキリスト教諸教会は急速に信者数を拡大した。それは多くの仏教徒たちの警戒心を高めた。その上、開放経済政策によるNGOや政府間援助の拡大は欧米諸国らとの非対称的な関係を強化した。多くの人々は重要な決定は国の外部で行われていると考えるようになった。このことは人々に植民地的な関係を想起させ、国の分断、仏教やシンハラ文化の喪失というシンハラ人の思考態度に深く根付く恐怖を顕在化させることになった。こうしたなかで多額の資金をもったキリスト教NGOがペンテコステ派教会の活動と誤認され、仏教徒過激派によるペンテコステ派への攻撃が拡大した。「非倫理的な改宗」という主張が浸透し、暴徒の動員において重要な役割を果たした。

<発表者>藤田幸一
<題 目>南アジアの中のスリランカ—南アジア型農業構造とその変化をめぐって
<要 旨> 一昔前、京都大学東南アジア研究所(当時センター)の何人かの研究者が集まって、「スリランカは東南アジアである」という研究仮説をもって共同研究をされていた頃がある。そのときの主な論点は、稲作技術であり、マレー型稲作とそっくりだというのである。調査対象地域はスリランカにとどまらず、アフリカのマダガスカルまで広がって行われた。今回の報告は、同じ「スリランカは東南アジアである」仮説を、農村社会のあり方にまで広げて考えることができるかも知れない、というアイデアを、スリランカ専門家の前で披露し、ご議論いただくのが目的である。 南アジアでは、東アジア小農社会(宮嶋博史)と対極にあるという意味での、特異な農業構造(agrarian structure)が長らく支配的であった。主な相違点は土地貸借市場の発達程度と特徴にあった。日本など東アジアでは一定規模以上の地主は全面積を小作人に預け、地主として君臨したが、南アジアでは土地なしは大部分、小作にもなることができず、裸の労働者として働いてきたのである。彼らを雇ったのは、むろん、かなり大きな規模の富農たちであった。しかし、そういう構造が近年、南アジアで崩れてきている。農業集約化、賃金の 上昇、農業機械化などがその背景にあるが、一方で、特にインドではカースト制に基づく伝統的社会秩序がそう簡単には崩れないという現実もある。バングラデシュでは、しかし、カーストの制約が基本的にないので、最も早く、そういう農業構造の変化が先んじて起こっている。それを1992/93年と2009/10年の2つの村のデータで実証する。報告は、したがって、主にバングラデシュやインドの話をし、それと比較するという形で、スリランカ研究者に自分の研究対象地域を再考していただく契機となれば、目的は達成されたと考えている。

<発表者>外川昌彦
<題 目>ダルマパーラのブッダガヤ復興運動とシンハラ・ナショナリズム
<要 旨>本報告は、1891年に大菩提協会(Maha-Bodhi Society)を創設し、世界的な仏教復興運動を組織したスリランカの仏教運動家アナガーリカ・ダルマパーラ(Anagarika Dharmapala、1864-1933)のブッダガヤでの活動の経緯を、英領インド政府の史料や、ヒンドゥー教シヴァ派の僧院長マハントの資料、日本を含めたその他の国際的な仏教界の反応を通して検証する。特に、これまで大菩提協会の資料を通して理解されてきたブッダガヤでの活動を、その運動と激しく対立した僧院長マハントや、宗教的中立性の立場を標榜しながらも現地での政治的な対応を迫られる英領政府など、インド社会での様々な交渉過程を通して検証する。仏教徒の国際的な連帯を訴え、ブッダガヤを世界の仏教復興のセンターにすることを呼びかけたダルマパーラの運動は、しかし、英領政府の宗教政策を背景とし、インド国内で高まる民族主義的運動との摩擦を招くことで、ブッダガヤでの目に見える成果を挙げることができず、1910年のカルカッタ高裁の審判を受ける形でブッダガヤから撤退する。インド社会での民族運動との連帯の契機を失ったダルマパーラの運動は、結果的に、セイロン島内での民族主義的運動へと先鋭化し、宗教的マイノリティに対する排他的なナショナリズム運動をも導くことになる。そのダルマパーラの運動の可能性と限界という経緯は、スリランカにおけるタミル・ヒンドゥー教徒との長年に渡る内戦を生み出すシンハラ・ナショナリズム運動の、ひとつの歴史的な背景を与えるものと考えられる。本報告では、以上の経緯を明らかにするために、英領期の大菩提協会の活動を、次の4
つの時期に整理して検証する。

第一期 1891-1893年  大菩提協会の創設と英領政府の認識
第二期 1894-1896年  日本の仏像の安置問題と当局の撤去命令
第三期 1897-1902年  新たなレストハウスの建設と当局の介入
第四期 1903-1910年  マハントの訴訟と大菩提協会の撤退

 

問い合わせ:中村(nakamura@asafas.kyoto-u.ac.jp

共催:「南アジア地域研究」京都大学拠点研究グループ1-A、
科研費研究「ケアの臨床現場における間身体性に関する人類学的研究」

詳細

日付:
2016年7月20日
時間:
1:30 PM - 6:00 PM
イベントカテゴリー:

会場

京都大学、吉田キャンパス、研究棟2号館、AA401